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千葉の難読地名(72) 羽計 青馬 (東庄町)

≪羽計  はばかり≫ 東庄町(香取郡)
≪青馬  おおま≫ 東庄町(香取郡)


千葉難読地名72

≪羽計  はばかり≫ 東庄町(香取郡)

下総台地北部の丘陵地縁辺に位置し、西方には旧桁沼を干拓した平坦地が広がる。
中世東庄十二郷の1つ郡郷(こおりごう)または<郡之郷(こおりのごう)>の中心地にあたり、江戸初期も「郡村(こおりむら)」と称した。(角川 日本の地名大辞典)

江戸時代初期(元禄年間頃迄)は「郡村(こおりむら)」と称した。
元禄13年(1700)頃の下総国各村級分に「羽斗村」と記載されている

東庄町(とうのしょうまち)は、相撲と天保水滸伝で有名であるが、笹川の親分である「笹川繁蔵」は当村の出身といわれている。

「平凡社の千葉県の地名」には、天保水滸伝の世界で、この羽計村(はばかりむら)で、文政(1818~30)頃に、若者たちが手踊狂言に浮身をやつして渡世を打捨て、会所に集まっては昼夜を分たず稽古に明け暮れ、ついには「御法度の勝負事、村内に昼夜の隔てなく張り行う」こととなった。・・・・ と書かれている。

「羽計(はばかり)」の地名由来は不明だが、江戸時代の1700年頃から「羽斗」「羽計」などと書くようになったため、この計、斗はやはり何か(米など)を計測した事に由来するのではないかと思われる。

≪青馬  おおま≫ 東庄町(香取郡)

下総台地北東部の丘陵地上に位置し、北方に旧桁沼を干拓した平坦地が広がる。

地名の由来について、

1) 「玉子大明神領絵図」にもと郡郷と小南郷の「合間」に所在したことにちなみ合間村と称した。
2) 東六郷が玉子大明神に奉納した青馬を死後「合間之駒ヶ野」に葬ったことから青馬と呼ぶようになった

という伝承が見える。(飯田家文書)(角川 日本の地名大辞典)
(こちらの角川辞典では振り仮名は「おうま」である)

東大社(とうだいしゃ)の旧鎮座地であったと伝えられる。
元禄郷帳には「アフバ」、元禄13年(1700)の村級分には「アウメ」と訓が付されている。



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千葉の難読地名 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2020/07/20 05:36
コメント
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鍵コメさま
コメントありがとうございます。

確かに地名がお名前になる事が良くありますね。
全国的にある名前がのルーツがどこか?
調べると、また興味がわいてきますね。

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