千葉の難読地名(73) 山根 刑部 (長生郡長柄町)
≪山根 やまんね≫ 長生郡長柄町
≪刑部 おさかべ≫ 長生郡長柄町

≪山根 やまんね≫ 長生郡長柄町(ながらまち)
豊田川上流に位置する。
長柄町(ながらまち)は房総半島の内陸部にある比較的小さな町です。
地理的には茂原市の西側、袖ヶ浦市、市原市の東側にあたる。
戦国期の天正16年(1588)の鰐口銘に「上総国長保(長北)郡山根郷小村飯尾」とある。
この地を支配していた。日什が開祖と伝わる飯尾寺(日蓮宗)がある。
また「秋元牧場」という牧場がある。
この地は、鎌倉時代頃から開けていたようだ。
文禄3年(1594)の村高帳に「山根村」とあり、江戸期から山根村と呼ばれていた。
ただ、「やまね」か「やまんね」かは不明。恐らく地元の呼び名が「やまんね」であったものと思う。
角川の地名辞典では地名の読みは「やまね」となっている。
山根(やまね)という地名は日本各地にあり、主に山のふもとの村などに一般的に使われている。
ただ「やまんね」と読む地名は他にはなかった。方言的な訛りではないか。
≪刑部 おさかべ≫ 長生郡長柄町
一宮川の源流部に位置する。
平安時代の「和名抄」に記載されている上総国長柄郡の中の六郷の一つに「刑部郷」がある。
また、鎌倉期にも 刑部郡、刑部郷 名が見られる。
人の名前にも「ぎょうぶ」「おさかべ」どちらも多く見られるが、「刑部氏(おさかべし)」は古代日本の氏族であり、河内国若江郡や伊勢国三重郡、備中国賀夜郡、英賀郡などに地名で残るという。
またこの刑部氏は物部氏族と考えられており、東国にやってきた氏族が住んだ場所なのか。
<刑部=おさかべ 地名>
・ 栃木県宇都宮市西刑部町 にしおさかべまち
・ 栃木県宇都宮市東刑部町 ひがしおさかべまち
・ 大阪府八尾市刑部 おさかべ
・ 岡山県新見市大佐上刑部 おおさかみおさかべ
一方「ぎょうぶ」地名は、屏風岩の南端にある飯岡灯台が立つ高台が「刑部岬(ぎょうぶみさき)」と呼ばれている。
その他に、
・ 静岡県磐田市刑部島 ぎょうぶじま
がある。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
≪刑部 おさかべ≫ 長生郡長柄町

≪山根 やまんね≫ 長生郡長柄町(ながらまち)
豊田川上流に位置する。
長柄町(ながらまち)は房総半島の内陸部にある比較的小さな町です。
地理的には茂原市の西側、袖ヶ浦市、市原市の東側にあたる。
戦国期の天正16年(1588)の鰐口銘に「上総国長保(長北)郡山根郷小村飯尾」とある。
この地を支配していた。日什が開祖と伝わる飯尾寺(日蓮宗)がある。
また「秋元牧場」という牧場がある。
この地は、鎌倉時代頃から開けていたようだ。
文禄3年(1594)の村高帳に「山根村」とあり、江戸期から山根村と呼ばれていた。
ただ、「やまね」か「やまんね」かは不明。恐らく地元の呼び名が「やまんね」であったものと思う。
角川の地名辞典では地名の読みは「やまね」となっている。
山根(やまね)という地名は日本各地にあり、主に山のふもとの村などに一般的に使われている。
ただ「やまんね」と読む地名は他にはなかった。方言的な訛りではないか。
≪刑部 おさかべ≫ 長生郡長柄町
一宮川の源流部に位置する。
平安時代の「和名抄」に記載されている上総国長柄郡の中の六郷の一つに「刑部郷」がある。
また、鎌倉期にも 刑部郡、刑部郷 名が見られる。
人の名前にも「ぎょうぶ」「おさかべ」どちらも多く見られるが、「刑部氏(おさかべし)」は古代日本の氏族であり、河内国若江郡や伊勢国三重郡、備中国賀夜郡、英賀郡などに地名で残るという。
またこの刑部氏は物部氏族と考えられており、東国にやってきた氏族が住んだ場所なのか。
<刑部=おさかべ 地名>
・ 栃木県宇都宮市西刑部町 にしおさかべまち
・ 栃木県宇都宮市東刑部町 ひがしおさかべまち
・ 大阪府八尾市刑部 おさかべ
・ 岡山県新見市大佐上刑部 おおさかみおさかべ
一方「ぎょうぶ」地名は、屏風岩の南端にある飯岡灯台が立つ高台が「刑部岬(ぎょうぶみさき)」と呼ばれている。
その他に、
・ 静岡県磐田市刑部島 ぎょうぶじま
がある。
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