千葉の難読地名(75) 大帷子(鋸南町)、小堤(横芝光町)、小原子(芝山町)
≪大帷子 おおかたびら≫ 鋸南町(安房郡)
≪小堤 おんづみ≫ 横芝光町(山武郡)
≪小原子 おばらく≫ 芝山町(山武郡)

≪大帷子 おおかたびら≫ 鋸南町(きょなんまち)
保田川の河口部から中流域にかけて位置し、西は東京湾に面する。
地名は「大(美称)」「かた=片:一方への傾斜地」「びら:平地」を意味する。(角川 日本の地名大辞典)
慶長2年(1597)の検地高目録に「大方平村」とある。
また慶長11年(1606)の里見家分限帳に「大帷子村」とある。
大帷子(おおかたびら)を辞書で引くと、
①汗取りの衣。単(ひとえ)より小さい。もとは夏だけ用いたが、のちには四季を通じて用いた。
②武家が直垂(ひたたれ)の下に着用した衣類。糊をこわくつけた白布で仕立てた。
の2つの説明があった。
地名は地形語を後に、この漢字で当てはめたものという。
もう一つ「鋸南町(きょなんまち)」は源頼朝が石橋山の敗戦後に逃れ、この地で再起を図った場所といわれています。
また鋸南町の保田は浮世絵師菱川師宣の出身地としても知られ、風光明媚な保田海岸は房州海水浴発祥地といわれ、夏目漱石、小林一茶、徳富蘆花、若山牧水、獅子文六ら数多くの文化人が訪れています。
鋸南町の名前は、昭和34年に町が成立した時に「鋸山(のこぎりやま)」の南に位置するので名付けられたものです。
≪小堤 おんづみ≫ 横芝光町
栗山川中流に位置する。
地内に要害・城ノ内などの地名が残されており、1520年代に千葉氏一族の三谷氏により築城された「小堤城」があった。
文禄3年(1594)の村高帳に「小堤村」と見える。
伊能忠敬の父の生家が当村にあり、幼少時に過ごしたといわれている。
また、現坂田の地に千葉氏の家臣井田氏が居城した「坂田城」があった。
この小堤城の三谷氏が滅亡した後に、井出氏の坂田城の重要な要害となっていた。
この井田(因幡守)の滅亡後、家臣が帰農し坂田郷を形成し、これが、のちに6村に分村し、小堤村もその中のひとつで当初頭に「坂田」を冠称していた。
地名は「お(接頭語)・つつ(包)・み(水)」の転訛で川に囲まれた地という意味か。
<各地の小堤地名>
宮城県栗原市金成小堤 おつつみ
茨城県古河市小堤 おづつみ
茨城県東茨城郡茨城町小堤 おづつみ
埼玉県川越市小堤 こづつみ
愛知県安城市小堤町 こづつみちょう
滋賀県野洲市小堤 こづつみ
≪小原子 おばらく≫ 芝山町
栗山川の支流高谷川上流域に位置する。
現在の地名の読みは「おばらく」とあるが、角川、平凡社のどちらの地名辞典も「おばらこ」となっている。
明治13年(1880)の郡区町村名調には「コハラコ」と訓じている。(平凡社 千葉県の地名)
文禄3年(1594)の村高帳に「小原子(おば らこ)村」の記載がある。
江戸期から明治22年まで「小原子村(おばらこむら)」であった。明治22年に千代田村の大字名となった。
地名は「おば(崖地)・く(処)」で崖地という意味か。
<小原子 地名>
静岡県掛川市小原子 こばらこ
<原子 地名>
青森県五所川原市原子 はらこ
山形県天童市川原子 かわらご
茨城県日立市河原子町 かわらごちょう
千葉県白井市河原子 かわらご
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≪小堤 おんづみ≫ 横芝光町(山武郡)
≪小原子 おばらく≫ 芝山町(山武郡)

≪大帷子 おおかたびら≫ 鋸南町(きょなんまち)
保田川の河口部から中流域にかけて位置し、西は東京湾に面する。
地名は「大(美称)」「かた=片:一方への傾斜地」「びら:平地」を意味する。(角川 日本の地名大辞典)
慶長2年(1597)の検地高目録に「大方平村」とある。
また慶長11年(1606)の里見家分限帳に「大帷子村」とある。
大帷子(おおかたびら)を辞書で引くと、
①汗取りの衣。単(ひとえ)より小さい。もとは夏だけ用いたが、のちには四季を通じて用いた。
②武家が直垂(ひたたれ)の下に着用した衣類。糊をこわくつけた白布で仕立てた。
の2つの説明があった。
地名は地形語を後に、この漢字で当てはめたものという。
もう一つ「鋸南町(きょなんまち)」は源頼朝が石橋山の敗戦後に逃れ、この地で再起を図った場所といわれています。
また鋸南町の保田は浮世絵師菱川師宣の出身地としても知られ、風光明媚な保田海岸は房州海水浴発祥地といわれ、夏目漱石、小林一茶、徳富蘆花、若山牧水、獅子文六ら数多くの文化人が訪れています。
鋸南町の名前は、昭和34年に町が成立した時に「鋸山(のこぎりやま)」の南に位置するので名付けられたものです。
≪小堤 おんづみ≫ 横芝光町
栗山川中流に位置する。
地内に要害・城ノ内などの地名が残されており、1520年代に千葉氏一族の三谷氏により築城された「小堤城」があった。
文禄3年(1594)の村高帳に「小堤村」と見える。
伊能忠敬の父の生家が当村にあり、幼少時に過ごしたといわれている。
また、現坂田の地に千葉氏の家臣井田氏が居城した「坂田城」があった。
この小堤城の三谷氏が滅亡した後に、井出氏の坂田城の重要な要害となっていた。
この井田(因幡守)の滅亡後、家臣が帰農し坂田郷を形成し、これが、のちに6村に分村し、小堤村もその中のひとつで当初頭に「坂田」を冠称していた。
地名は「お(接頭語)・つつ(包)・み(水)」の転訛で川に囲まれた地という意味か。
<各地の小堤地名>
宮城県栗原市金成小堤 おつつみ
茨城県古河市小堤 おづつみ
茨城県東茨城郡茨城町小堤 おづつみ
埼玉県川越市小堤 こづつみ
愛知県安城市小堤町 こづつみちょう
滋賀県野洲市小堤 こづつみ
≪小原子 おばらく≫ 芝山町
栗山川の支流高谷川上流域に位置する。
現在の地名の読みは「おばらく」とあるが、角川、平凡社のどちらの地名辞典も「おばらこ」となっている。
明治13年(1880)の郡区町村名調には「コハラコ」と訓じている。(平凡社 千葉県の地名)
文禄3年(1594)の村高帳に「小原子(おば らこ)村」の記載がある。
江戸期から明治22年まで「小原子村(おばらこむら)」であった。明治22年に千代田村の大字名となった。
地名は「おば(崖地)・く(処)」で崖地という意味か。
<小原子 地名>
静岡県掛川市小原子 こばらこ
<原子 地名>
青森県五所川原市原子 はらこ
山形県天童市川原子 かわらご
茨城県日立市河原子町 かわらごちょう
千葉県白井市河原子 かわらご
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