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手奪橋(その2)

昨日の続きです。

 さて、この河童の民話に登場する殿様は、新撰組で活躍した芹沢鴨の血筋で、芹沢家の先祖です。
橋の名前は「てうばいばし」となっていますが、この川はむかし「てばいがわ」とも呼ばれていた時もあると聞いていますので、言葉の発音から話が作られたかもしれません。

まずは、この民話の続きとなった神社の紹介をしておきましょう。

<手接神社>(小美玉市)

 さて、この民話では、腕を切られた河童が手を返してもらい、不思議な薬で手を継いで、お礼にこの薬を芹沢家が貰うことになるのですが、
やがてこの河童が芹沢から川の上流の(小美玉市)与沢の地で発見された(一部では近くで発見されたが、祈ったらその上流の与沢に運ばれた)となっています。

そしてそこに手接(てつぎ)神社がありますので、行ってみました。

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場所は茨城空港の近くです。このすぐ近くに親鸞が鹿島神宮に行く途中で通っていたと言われた遺跡(喜八阿弥陀、経塚など)が残されています。

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通り沿いの神社入り口には
「 日本に一社
  かっぱの神様
手接神社
手の病い、お子さんの成長、進学、就職、技倆上達
ご家庭の健康祈願は七郎かっぱを奉る手接大明神にご参詣を!!」
と書かれています。

ここでは河童の名前があります。「七郎河童」です。

神社の祭神は、罔象女命(みずはのめのみこと)、大巳貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)の三柱です。
罔象女命は「日本書紀」に出てくる神様で、古事記では弥都波能売神(みづはのめのかみ)と出てきます。
また、イザナミが産んだ水の神様として知られ、神社などでは「水波能売命」などとも表記されます。

また、大巳貴命は、いわゆる大黒様(大国主神)が一般的で、少彦名命と共にこの国の国造りをした神様です。
まあ河童が神様とはなっていないようです。

神社の創建は1507年とされており、その前に芹沢氏の館に1481年に最初に建てられたものがこちらに移されたとされています。
ただこれも歴史的には少し年代としてはわからないところがあります。
もう少し検証したいところです。

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この神社は元は、芹沢家の屋敷近くにあった神社をここに移したものと推測されます。

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神社に奉納されるものも手形や手袋など手に関するものばかりです。
手袋などを奉納すると、その手の痛みなどが治ると言われています。

またこの神社には、おみくじなどと同じように「きりすね」というもめんの糸をよった物が置かれています。
これを痛い手に巻いておくと、この糸が切れる頃には治ると言われているものです。

手の痛い人が頂いて帰るのだと言います。

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この芹沢家は、代々医者の家系として続いており、現在も石岡で開業しています。

そして、河童にもらったともいわれるこの家伝の秘薬(膏薬)「筋渡し」は今も使われているとの話もあります。

<手接明神(芹沢家生家跡)>

 行方市では「新選組を創った男」とのキャッチフレーズで新選組局長・芹澤鴨を売り出しています。
そしてこの芹澤鴨の生家跡があると言う場所があります。

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芹沢鴨(本名:下村嗣次)の生家がここであったかについては諸説ありますので、また別途説明します。
写真のように芹沢家の敷地脇に「芹沢鴨の生家」と書かれた看板が掲げられています。
そしてこのすぐ近くに、手接明神の石柱がありました。

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ここにあった手接明神が与沢に移って手接神社となったようです。

(続く)

手奪橋の最初から読むには → こちらから

てばい(手奪、手這) | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/10/10 16:19
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