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菜の花と栗畑

今は、何処へ行っても花が多いですね。
道の両側に菜の花が咲き乱れていると黄色の絨毯のように見えます。

茨城県は、栗の生産では日本一ですが、その中でも、ここかすみがうら市(旧千代田町)の栗は有名です。
この栗畑の中に一面の菜の花が植えられているところがあります。
少し目に付くところは多いのですが、ここは一面が菜の花です。

(A) かすみがうら市の四万騎(しまき)農園の菜の花です。菜の花ばかりで栗の木が目立ちません。
しかし、ここの栗は有名でジャムに加工して「マロンジャム」として銀座などに卸してもいます。
菜の花が良い肥料になるのですね。

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四万騎農園さんの入口です。敷地の中に石蔵があり、時々コンサートなどが行なわれています。

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通りからすぐ菜の花畑が広がります。

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(B) 同じくかすみがうら市の笄崎(こうがいさき)のバス停近くの栗畑です。

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通りからは生け垣があり菜の花が目立たないのですが、きれいな畑です。

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こちらの栗の木はまだ若木のようです。

さて、有機栽培の栗に菜の花の堆肥がよいのでしょが、こちらのサイトは一応歴史のテーマを主に取り扱っていますので、この「四万騎(しまき)」と「笄崎(こうがいさき)」の地名について説明しましょう。
「四万騎」の名前の由来は、八幡太郎義家(源義家)が陸奥守に任じられて、後三年の役(1083年~)で奥州へ平定に行くのですが、後からの作りごとか、余程宣伝がうまかったのか、「義家参戦」とききつけて、一行の行進に続々とまわりから仲間が集まってきました。

このかすみがうら市の辺りでは兵は四万になり、この辺りは広い草原があるため、ここで馬術の稽古をしたといわれています。そのため「四万騎」と名がついたそうです。
また、石岡では更に増えて五万になったということで「五万堀」という地名が残り、食事をした池には「生板池」(生板はまないたのこと)などの地名も残っています。

さて、もう一方の笄崎(こうがいさき)ですが、どこにもまだ書いたものを見ていませんが、前にブログで書いたように笄(こうがい)が流れ着いた場所をさすと思われますので、ヤマトタケルが東京湾を渡る時に波を静めるために海に身を沈めた弟橘姫の髪を止めていた笄が霞ケ浦を流れて、この辺りまで川をさかのぼってきたなどという話が伝わっているのではないかなどと想像しています。

行方市羽生にある「橘郷造神社」はこの弟橘姫をまつった神社です。
また羽生の地名も弟橘姫の笄(こうがい)が霞ケ浦の岸に流されたものが、「羽を生やして飛んできた」とか、「鳥が群がって運んできた」などと言われているようです。
 
 

その他風景 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/04/30 07:49
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