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百観音(常陸大宮)

 石岡から真っ直ぐ北へ向かい、御前山で那珂川大橋を渡り、そのまま県道12号線を北進すると美和の手前に「旧緒川(おがわ)村」を通る。
県道12号線は栃木県の烏山(からすやま)から県道12号線で、栃木県側は栃木県県道12号線、茨城県側は茨城県県道12号線と2つの県をまたいでいる。
一般には県をまたぐ道路は国道になるが、馬頭・烏山地区はもともとは常陸国で、水戸藩だったと思う。
この頃からの名残であろう。

また、緒川の街はあまり知られていないが、緒川村農協が「奥久慈卵」のブランド発祥地である。

ここを流れているのは那珂川の支流でこの町に付けられた名前と同じ「緒川(おがわ)」である。
そして、県道12号の緒川の町に入る少し手前に「百観音」という案内看板がある。

もう10年ほど前に1度訪れたことがあるが、山の中腹の洞窟に何十体もの観音像が彫られていたが、入り口で引き返したことがあった。
一人で天気が悪い日で、あまり気分も良くないからと引き返してしまったが、その後数回この場所を通っているのだが、一度もよらずに来てしまった。
今回来て、寄らなければこれから先も多分よることはないだろうと、一呼吸して車をその公園の方へ向けた。

しばらく行くと緒川の川を橋で渡り、そのすぐ先の山の麓に整備された駐車場が出来ている。

誰もいないかと思ったが、ここにトイレがあり、これを利用する釣り人の車が時々来ているようだ。
しかし、観音のある山の方に行く人は誰もいない。

一般に百観音といえば、坂東33、西国33、秩父34の観音様の霊地をまわる百観音巡りと、これらの百か所の観音霊場の観音像の鋳型でこしらえた観音像を1か所のお寺に安置し、この1か所だけで百か所を回ったというご利益が得られるというお寺などを拝することを指すのが普通だ。

しかし、ここ緒川(常陸大宮市)の百観音は少し違う。

この正面の山(川向男体山)全体に100体近くの観音像が祀られているという。

入口の百観音自然公園駐車場に車を止めて、先ずは少し上の洞窟観音を目指します。

百観音01

この百観音巡りはこの山に設けられたハイキングコースを観音像を見つけながら一周するというコースです。
一周するには少し体力と、時間もかかりそうですので、まずは一つ上にある最大の目玉の観音洞窟まで行くことにしました。
先ず少し緩やかな階段が100段ほど続きます。

百観音02

そしてその先に見晴らし台(東屋)と観音洞窟のある場所までまた100段ほどの急な階段があります。
少し足元がおぼつかない気もしましたが、手すりにつかまり1歩1歩上り何とか到着。

百観音04

東屋となっているお休み処。見晴らしは・・・ 思ったほどよくはありませんでした。

百観音03

そのすぐ前に「観音洞窟」があります。
頭上注意と書かれた看板があり、確かに頭がぶつかりそうです。
でも少し頭をかがめれば、通れます。

百観音05

中は思ったほどじめじめしてはいません。
またトンネル(穴)の中には灯りがともされています。
一人だと少し怖いのですが、中には誰もいないようなので入ってみましょう。

百観音06

左右に数十体の観音像が安置されています。

百観音09

説明ではこの洞窟の観音像は全部で36体だそうです。

百観音07

一番奥の観音像がこちら向きに1体あり、大日如来だそうです。
この穴の入り口部は150cmほどの高さだそうですが、この一番奥は少し高くなっていて、背を伸ばして立っていても頭はぶつかりません。

百観音10

なんとか入口に戻ってきました。
やはり太陽の光は嬉しいですね。

百観音11

ハイキングコースはこの脇から山の上の展望台の方に続いていますが、私はまだこれから先がありますので、ここでギブアップ。
今登ってきた階段を戻りました。

この山には同じような洞窟(穴)がいくつかあるようです。
観音像はその洞窟には安置されていないようですが、山の中に、全部で100体程が点在しているようです。


洞窟に観音像がたくさん祀られたところとして、思い出すのは千葉県銚子の常世田薬師(観音)があります。
そちらは寺の裏山を掘った穴に造られ、土を掘った感じで、少し水が染み出て足元がぬかるんでいて中には入りませんでした。
こちらは、穴の表面を見るとこの山が石の塊のような山であることが分ります。
固い石をコツコツと掘って穴を作っていたようです。

調べてみるとどうやらこのあたりの山がメノウ(瑪瑙)=火打石の産地であったようです。
常陸国風土記にも久慈郡の所に「郡家の西十里のところに、静織の里がある。ここで初めて倭文を織る機が使はれたことから、名付けられた。北の小川には、青色の瑪瑙がとれ、良い火打石になる。よって玉川と名付けられた」と書かれています。
この玉川は、今の常陸大宮市から那珂市との界を流れ久慈川に合流する川です。

比較的近いこのあたりにもきっと瑪瑙が採れたのではないでしょうか。

この洞窟に観音像を彫って安置したのは、文化6年(1809)、那賀在住の小森清蔵という盲人が、地域の有志から浄財を募って、諸国の有名な観音像を彫ったものだと緒川村史に書かれているそうです。
恐らく、その前に掘られていた穴に観音像を彫って安置した物でしょう。

この彫刻家のいた「那珂」はこの小川の南にあり、那珂川大橋を渡ってここに来るまでに通ってきました。
この那珂地名が那珂川の地名の由来の元だと私は考えている場所です。

興味がありましたらハイキングとしてもよさそうです。
下草などはきれいに刈り取られていて、整備状態は比較的良いように思います。
今はよくわかりませんが、春夏の年2回ほど祭礼がおこなわれていたとの説明がありました。



常陸大宮・太田 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/10/26 17:16
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