余山貝塚(銚子)
千葉県銚子市の利根川沿いの少し上流に「余山貝塚」という縄文時代後期から晩期の貝塚があります。
私も銚子にはよく言っているのですが、時々思い出したようにこの貝塚に立ち寄る事があります。
この貝塚は、成田線の線路が真上を通っていて、左右に分断されています。
少し前までは、線路の向こう側に貝塚の説明板などが置かれていましたが、数年前に手前の方も整備して遺跡公園となりました。
国の指定貝塚は香取の方に阿玉台貝塚や良文貝塚などがあり、香取の海などの古代の内海のもっと内陸部にありますが、ここは古代の香取の海や何とかの流れ海などの霞ヶ浦などの内海を形成する「古鬼怒湾」の外洋と接する直ぐ手前にありました。
また標高も5~7m 程度で、昔の湾の入口部にあったようです。
実は、ここは単なる貝塚(ヤマトシジミ、・・・・などの貝殻がたくさん見つかっている)ではなく、とても素晴らしいものが発見されている貝塚なのです。
通り沿いを直ぐ入った場所ですから、近くを通った時には是非立ち寄ってみてください。

国道356(利根水郷ライン)がバイパスと合流するカインズの角の信号を松岸駅側に少し進んだ右側の旧道沿いにこの貝塚があります。

貝塚の隣を「高田川」が流れ、最近護岸工事をし、貝塚の場所も整備しました。

このあたり一面、また線路の向こう側の工場脇の敷地に、たくさんの貝殻が埋まっています。

直ぐ山側を成田線の線路が走っています。
この線路の向こう側も貝塚です。



この貝塚の記念すべき特徴は次の2つです。
1つは、上の説明でもありますが、縄文時代の魚を採る道具(釣針、モリ、ヤスなどの骨角製の漁具)がたくさん見つかっていることです。

釣り針には主に、鹿の角が使われ、ヤスやモリなどの魚などを突き刺して採る道具には鹿の足の骨などを削って作っています。
このような道具が数百個も見つかっていますので、ここではこれらの道具の生産拠点とも考えられ、更に貝輪などの装飾品、カップなども多数見つかっています。
もう一つはとてもとくちょうのある「土偶」が発見されています。
残念ながらこれらの土偶は、兵庫県西宮市辰馬考古資料館に保管されています。
とくに「みみずく土偶」(BC1300年頃 国重要文化財)が有名です。

どうですか? 3300年も前のものと知ると、会ってみたくなりませんか?
そのほかにも、南山大学人類学博物館や大阪歴史博物館などに、この貝塚から見つかった土偶が数十点ほどあるようです。
(詳しくは⇒ こちら)
こんな昔の縄文人が図柄としてもすばらしい土偶を制作していたことに驚きます。
私も銚子にはよく言っているのですが、時々思い出したようにこの貝塚に立ち寄る事があります。
この貝塚は、成田線の線路が真上を通っていて、左右に分断されています。
少し前までは、線路の向こう側に貝塚の説明板などが置かれていましたが、数年前に手前の方も整備して遺跡公園となりました。
国の指定貝塚は香取の方に阿玉台貝塚や良文貝塚などがあり、香取の海などの古代の内海のもっと内陸部にありますが、ここは古代の香取の海や何とかの流れ海などの霞ヶ浦などの内海を形成する「古鬼怒湾」の外洋と接する直ぐ手前にありました。
また標高も5~7m 程度で、昔の湾の入口部にあったようです。
実は、ここは単なる貝塚(ヤマトシジミ、・・・・などの貝殻がたくさん見つかっている)ではなく、とても素晴らしいものが発見されている貝塚なのです。
通り沿いを直ぐ入った場所ですから、近くを通った時には是非立ち寄ってみてください。

国道356(利根水郷ライン)がバイパスと合流するカインズの角の信号を松岸駅側に少し進んだ右側の旧道沿いにこの貝塚があります。

貝塚の隣を「高田川」が流れ、最近護岸工事をし、貝塚の場所も整備しました。

このあたり一面、また線路の向こう側の工場脇の敷地に、たくさんの貝殻が埋まっています。

直ぐ山側を成田線の線路が走っています。
この線路の向こう側も貝塚です。



この貝塚の記念すべき特徴は次の2つです。
1つは、上の説明でもありますが、縄文時代の魚を採る道具(釣針、モリ、ヤスなどの骨角製の漁具)がたくさん見つかっていることです。

釣り針には主に、鹿の角が使われ、ヤスやモリなどの魚などを突き刺して採る道具には鹿の足の骨などを削って作っています。
このような道具が数百個も見つかっていますので、ここではこれらの道具の生産拠点とも考えられ、更に貝輪などの装飾品、カップなども多数見つかっています。
もう一つはとてもとくちょうのある「土偶」が発見されています。
残念ながらこれらの土偶は、兵庫県西宮市辰馬考古資料館に保管されています。
とくに「みみずく土偶」(BC1300年頃 国重要文化財)が有名です。

どうですか? 3300年も前のものと知ると、会ってみたくなりませんか?
そのほかにも、南山大学人類学博物館や大阪歴史博物館などに、この貝塚から見つかった土偶が数十点ほどあるようです。
(詳しくは⇒ こちら)
こんな昔の縄文人が図柄としてもすばらしい土偶を制作していたことに驚きます。
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