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かごぬけ地蔵

 現在の小美玉市小川や玉里地区、また霞ヶ浦の入り江の向こう側である現在の石岡市井関、石川地区などは霞ヶ浦の水運を利用していた水戸藩の領地でした。

霞ヶ浦の高浜入りの入口に当たる部分は比較的対岸までの距離が狭く、両湖岸を領していた水戸藩はここを川とみなし、「御留め川(おとめがわ)」制度を行っていました。

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また、水戸藩ではこの現在の八木地区(石岡市)は昔は陸地から少しはなれた島で、ここに罪人を流布して働かせたりしていました。
罪人と言ってもほとんどが政治犯でした。

罪人を送るときは、水戸から唐丸篭で陸路を小川経由でこの玉里地区へ送られ、ここで篭から降ろされ、縛られたまま舟で対岸の島(八木地区)へ運ばれました。

以前この玉里地区の道路際の大きな木の根元に数体の石仏などが祀られていて、不思議に思っていましたが、ここがその唐丸篭から罪人が降ろされた場所だった事がわかりました。

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昔は大きな木があったのですが、数年前に木が倒れ、伐採され、地蔵さん達は纏められて囲われていました。

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篭から降ろされた場所なので、この地蔵さん達は「かごぬけ地蔵」と呼ばれているそうです。

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ここにはバス停があり、「稗倉(ひえくら)」と書かれていました。

説明は何もありません。バスの時刻も一日一本のみで、土曜はありません。
この「稗倉(ひえくら)」というからには、江戸時代にでもここに稗(ひえ)などを貯蔵する倉が建てられていたのでしょうか?

東京の田無(現西東京市)に文化財の稗倉が残されていますが、そちらは江戸時代の飢饉の時から、その後の基金に備えて稗や米を備蓄していたといいます。
毎年少しずつ古いものは貧しい人に配り、新しいものを追加して自然災害に備えていたようです。

今年、石岡市の社会福祉協会も蓄えていた米を希望者に無償で配布するそうです。(12月1日から1人2kg ⇒こちら)

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この「かさぬけ地蔵」の直ぐ前が湖ですから、このあたりから舟に乗せられて対岸の島へ移されたのでしょう。

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地図で見るとこんな感じです。
対岸の八木にある「縄とき地蔵」も元は少し山の方(住吉神社)にあったようですが、現在地に整理され移されたようです。
(縄とき地蔵へ行ったときの記事 ⇒ こちら

この「かごぬけ地蔵」も昔来たときには大きな古い樹株の基にありました。

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何年前だか忘れましたが、7~8年くらい前だったような・・・・


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すぐ脇の道を入ってみました。

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のどかな雰囲気の場所です。
右に柿の木があり、左の家の垣根に赤い花が・・・

山茶花でしょうか?
いい色合いと雰囲気です。

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竹林もあります。




ダイダラボッチの里 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/11/27 14:21
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