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立延地区の祭り(1)青屋様

 この前の日曜日に小美玉市の旧玉里地区にあるコスモス生涯学習センターで開かれていた展示会にお邪魔した。
「小美玉市のお祭りと年中行事2020」として、民俗芸能としてのお祭りの歴史などが紹介されていた。

この日が最終日で、連絡を頂きあわてて出かけてきた。
石岡からは車なら往復でも30分くらいあればいける。

小川の素鵞神社祇園祭、竹原のアワアワ祇園祭、堅倉ばやしなどの紹介に交じって、立延の青屋様と盆綱が紹介されていた。
特に私にはこの立延(たちのべ:現在の住所では中延)地区の2つの行事にとても興味を覚えた。

他も興味深い内容だったが、まずはこの2つの行事を2回に分けて、ここに紹介したい。
先ず最初は「青屋様」から紹介しましょう。

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説明は展示会に掲げられていた説明を載せますので読んでください。
遠いところの方も、近くでも行かれなかった方も興味がある方は読んでください。

昔から伝えられ、今も残るこのような風習にどのような意味が込められていたのか?
また、それを大切に守り次の世代に伝えてこれたのはどのような人達の力だったのか・・・・
とても考えさせられるものでした。

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私も、別なところから石岡市内に移ってきて、すぐに市内の青屋祭、青屋神社の存在を知った。
石岡小学校(旧日立国府跡)のすぐ近くにある青屋神社に説明が書かれていて、そのことしか頭になかった。
しかし、この立延の青屋様の行事は、もう少し古い本来の青屋祭の姿が現われているとの思いがした。

まずは、石岡市内の青屋神社に書かれている説明を載せましょう。

「常陸国司は都から着任すると,鹿島神社に参拝するのが習わしであった。国司が参拝するには高浜から舟で行くのが通常であったが,荒天で出航不能の時は,高浜の渚にススキ,マコモ,ヨシ等で青屋(仮屋)を作り,そこから鹿島神社を遥拝し参拝に代えたという。これが青屋祭の起こりといわれている。」(石岡市HP)

常陸国の国府が現在の石岡に置かれており、奈良時代などに都から常陸国へ着任してきた国司などが、鹿島神宮に参拝するときに高浜から霞ケ浦(流れ海)を舟で行くのだが、嵐などでいけない時には青屋という仮の小屋を建てて、そこから遠く鹿島神宮に遥拝したという。これが青屋の起こりだが、それが高浜神社と、石岡市内の青屋神社に踏襲され、旧暦の6月21日に青屋祭が結構盛大に行われるようになった。

現在青屋神社ではこの旧暦6月21日に青屋祭を行っています。ススキを箸として、ウドンを食べるのが祭り行事に一つでした。

青屋祭に行った時の記事はこちらにあります ⇒ 青屋祭(2011年7月21日)

ここには立延地区に残っていた青屋祭の様子である。これは今まで知っていたものと少し違う。

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まず現在も続いているウドンをススキの箸で食べる習慣はここでは健在であった。
これは今年の写真であり、7月21日にススキ(茅)の茎で子供たちが箸を作る作業をする。

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そして食べるものは小豆粥にウドンが煮込んであるものだ。
いままでウドンとしか聞いていなかったが、写真を見たのは初めてだ。
石岡でも同じだったのだろうか?

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しかし、変わっているのはここからで、この青屋様という仮殿を組んでいたということです。
石岡や高浜ではそれぞれ神社となっていて、このような仮殿は作っていません。
こちらのものも今ではなくなってしまったようで、昭和の後期の写真だ。

立延地区は園部川から少し高台のこじんまりした地区で、高低の差が大きい入り組んだ地区だ。
園部川の川岸から茅をとってきて、竹で組んだ祠を飾り、中に青屋様という御幣を祀るという。

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その後、完成した仮殿を園部川まで子供たちが担いでいき、川に流したという。
青屋という意味がよくわからなかったのですが、この仮殿は青竹を組んで作ります。
この青竹を使うことから名づけられたように思います。

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展示会場には、青屋祭で使われる箸とお札が展示されており、その横に百万遍念仏供養の版木が置かれていました。


小美玉・行方地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/12/03 21:33
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