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頭白上人の五輪供養塔(2)

頭白上人の五輪供養塔(1)に続いて、今回はこの五輪塔が置かれている神社(金嶽神社)について書いておきたいと思います。

この場所は、今迄数回訪れていますが、あまりこの神社について調べたり見ることがなく、何故この五輪塔がこの神社に置かれているのかについても考えてきませんでした。

そこで少し見て行きたいと思います。

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つくば石の採石場の麓からわずかに東のこの場所へ神社は移されました。

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裏に本殿が置かれており、本殿にも直接鳥居があって、こちらにもお参りができるという変ったスタイル。

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また、拝殿手前の鳥居には藁で作られたお酒の手桶?
最初は何かの人形のように思えて・・・・ すこしビクッと・・・

神社の名前は「金嶽神社」。 さて何と読むのでしょうか?
「こんたけじんじゃ」と読むらしいです。

金=こん と読むのには理由がありそうです。

神社の由来に付いては、あまり載っていないのですが、現地説明板によれば

 この小高の地に、室町時代の末(戦国時代末)の天正二年(1574年)に、小田城主(小田氏治)の家臣である小高知常が移り住んだ。
その時に、奈良の金峰山・蔵王大権現より御神像を勧請し、石崎の蔵王山頂に創建したのが始まりだという。

この石崎の蔵王山というのはよくわからないが、現在の採石場の山ではないかと思う。
蔵王権現を山の上に祀ったので、「蔵王山」と言ったのだろう。

蔵王権現は修験道の本尊とされているので、山岳信仰の神社(神仏習合)ということになる。

奈良吉野の金峯山寺に祀られている「蔵王権現」は、仏教の仏と神道の神ともどちらでもない独特の尊格で、3体の蔵王権現で表わされています。 その像容は、火焔を背負い、頭髪は逆立ち、目を吊り上げ、口を大きく開いて忿怒の相を表し、片足を高く上げて虚空を踏むものです。
寺伝では中尊が釈迦如来、向かって右の像が千手観音、左の像が弥勒菩薩を本地(本来の姿)としており、それぞれ過去・現世・来世を象徴しているといわれています。
この「権現」は仏が姿を変えて現れたものというものです。
これらの像は長い間秘仏で公開されることはめったにありませんでしたが、吉野山が2004年7月に世界遺産(紀伊山地の霊場と参詣道)に登録されたのを機に1年間に亘って開帳されました。
これは世界遺産に登録された仁王門の修理費をまかなうため(2012年から10年間)ですので、門の修理が終りましたらまた完全秘仏に戻るかもしれません。

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(内陣の厨子の扉が開かれた5~7mもある巨大な蔵王権現像:1590年制作)

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これが山岳信仰と仏教を融合させた日本における修験道の始まりであるとも伝えられています。
この修験道はインドや中国から伝わってきたものではなく日本独自の信仰です。
そこに祀られる「蔵王権現」もインドや中国の起源にはないもので、神道の神でもなく、仏教の仏でもない両方を併せ持った神とされています。

さて、明治維新後に神仏分離令がだされ、この神社の祭神は「少彦名(すくなびこな)命」となっているようです。
境内社もあるので宇迦魂命と建御名方命も祀られているといいます。


さて、1574年にここ石崎の山の上に、蔵王権現社が創建された翌年、小田城が落城してしまいます。
そして、この地の小高知興は、臼井字立野に移り、この権現社も、御神像と共に移した(蔵王神社)ようです。

現在のつくば市臼井1666-1に鎮座する「蔵王神社」がそれで、ここには市指定文化財の蔵王権現像が安置され、祀られています。
この蔵王権現像(像高:52cm 寄木造)がこの石崎にあった像(金嶽神社のご神体)なのです。
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筑波・土浦・牛久地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/12/09 11:18
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