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まほらの里案内2020(1)-舟塚山古墳から

 2020年の暮れに、ひょんなことから知り合いになった方を、半日で石岡・八郷周辺を案内する事になった。

旧八郷地区の片野城にいた太田資正(三楽斎)を調べておられるという事で、片野(根小屋)や太田にある善光寺などは行かれていたので、半日でどこまで案内できるか・・・・なかなか難しい。
私などが案内すればマニアックになってしまうかもしれないなどと頭の中は空回り。

ふるさと歴史館で昼の12時ころ合流。
そこで、八郷の議員さんと一緒の前市長さんと久しぶりに再会。
今度自宅に来てほしいと。 ご病気で市長を辞められたが、比較的元気そうで安心。
4人で常陸国府跡の石碑の前で記念撮影。

市議と全市長さんとはそこで別れ、私の小さな車で案内を開始。

先ずは近くの総社宮へお参りしてからと立ち寄る。拝殿の向こう側に新しい道(下の駐車場に繋がっている)ができていて驚く。

そして、まずは舟塚山古墳の上から紫峰(筑波山)を眺めてもらってから、旅をスタートさせる事にしました。

舟塚山へ行く途中で、きんちゃく石(茨城廃寺の塔の路盤)を万福寺横の畑の中にあるのを見て、腹ごしらえにバラキ台の京兵衛寿司さんに立ち寄りました。(ランチにぎり寿司が安くて美味しい)

舟塚山古墳に登り、筑波山(紫峰)を遠く眺め昔の人の思いをかみしめてみました。
気分は万葉人、でも今回のミッションは戦国時代の片野城。
やはり少し違うか?? 
でも太田三楽斎も岩槻に戻る望みをいだいていたといわれているが、最後のこのあたりの地は気に入っていたのではないか、などと感じている。

再来年が太田資正(すけまさ)生誕500年。

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この五世紀に築造されたと見られている東日本で2番目に大きい前方後円墳の上に登ると、いっぺんに昔の世界に入っていけるような気がします。

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少し曇っていたのですが、筑波山はうっすらと二つの峰が並んで見えます。

正岡子規が詠んだ歌や万葉集の高橋虫麻呂の歌などを思い浮かべて・・・・・

そして、国府から筑波山へ・・・府中古道の道は?

藤原宇合や高橋虫麻呂はどこを通って行ったのだろう。

これからあの山へ登る。 かなり距離もありそうだ。
やはり時間が足りないか?

筑波山の反対側(東側)を見ると、常磐線の特急列車が見えました。
すぐ近くに高浜駅が見えます。

そして恋瀬川の河口付近から向こう側にこんもりとした山が見えます。
そこが常陸大掾(だいじょう)氏が小田氏をけん制するために、府中城主の弟の(平)常春を住まわせた「三村城」がありました。
しかし、城は園部氏などとの戦の中、小田氏に攻められ落城したのです。

府中の城から応援に駆けつけるも、とき既に遅く、燃えさかる城を対岸から見て、多くの兵士がこちら側の対岸脇で自害したと伝わっています。

三村城の落城秘話 ⇒ こちら

歴史に埋もれた悲劇(香勢堂) ⇒ こちら

三村城に関しては「三村戦記」が残されていて、様子を知る事ができます。
当時は府中の大掾氏と太田三楽斎も関係を深めていた時期もありそうです。
三村城の東側に御前山という山があり、ここに三楽斎の娘を常春の嫁に迎えて、住まわせていたなどとも言われています。
ただ、常春の城が落城した時は、どうなったかはわかりません。

(次へ続く)

全部読むには ⇒ こちらから


まほらの里案内2020年 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/12/14 10:54
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