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阿波山上神社

 茨城県城里町の桂中学校横の県道123号線沿いに「阿波山上神社」がある。
神社の呼び名は私は「あわさんじょうじんじゃ」と呼んでいたが、どうやら「あわやまのうえのじんじゃ」というようだ。

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茨城県の中央部を流れる那珂川がこのすぐ東側を流れている。
常陸国風土記には、この川の名前は「粟河」と記載されている。

この神社があるのは「阿波山(あわやま)」と名付けられた地区だが、この附近の地名は「粟」である。
四国徳島県の旧名称は「阿波国」だが、これも奈良時代の初期に地名を二文字にするように通達がなされ、「粟」から「阿波」に変更されたものだ。

この阿波山上神社の名前については、山の上という意味ではないようで、粟地方が上粟山・下粟山の2つの村にわかれ、「粟山 ⇒ 阿波山」となり、神社が上粟山に属していたので「阿波山上神社」となったらしい。(『神社覈録』 Wiki.より)

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神社の直ぐ横が県道のため、昔の面影はたぶん大分薄らいでしまったものと思われる。
神社の参道も残されてはいるが、昔は結構鬱蒼とした雰囲気であったのではないかと思う。

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(拝殿)

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(右:本殿、左:拝殿)

注目すべきは、この神社が「降木明神」という別名を持っていることにある。

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神社拝殿手前の参道横に、ご神木があるが、この杉の木はかつて、樹齢千年ともいう巨杉であったが、昭和47年9月18日の落雷により炎上したため、翌年7月に伐採されたという。現在はその大杉の苗から新たな神木が育っている。

さて、ではこの大杉に何が降り立ったのでしょうか。
ご神木の横に由来記と称される石碑が置かれています。

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少し文字部分を拡大してみましたがよく読めません。

要は、この大杉に降り立ったのは、手に粟穂を持った童子姿の神だそうです。
神話を少し読んだことがある方ならわかりますね。
少彦名(スクナビコナ)はガガイモの船に乗ってやってきた小人の神で、大国主命と共に国つくりをしたあと、淡島で粟の茎によじ登って、その茎の弾力で常世国に行ったと書かれています。
ここでは、その常世の国がこの(常陸国で、降り立った場所がこの大杉だというわけです。

那珂川は大洗附近で太平洋に注いでいますが、この河口の両側に「大洗磯前神社(おおあらいいそさきじんじゃ)」と「酒列磯前神社(さかつらいそさきじんじゃ)」がありますが、ともに延喜式の式内社でも大社に属する由緒ある神社ですが、この両神社にはともに「少彦名命」が祀られています。

これをどう解釈するかは、それぞれですが、常陸国(中・北部)への大和朝廷の発展(侵攻?)足がかりがこの那珂川から周りに広がって行ったと考える事ができるのではないかと考えています。

那珂川中流のこの粟地方は、低地で古墳群も多く見られます。

明日は、この神社の隣にあったという親鸞聖人の大山草庵跡と阿弥陀寺(浄土宗)について紹介します。




笠間方面 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/12/24 11:08
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