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親鸞の大山草庵と阿弥陀寺

 昨日紹介した「阿波山上神社」の入り口に「親鸞聖人大山草庵跡」という大きな看板が立っている。
ここを通られた方は、直ぐに気が付くと思う。

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大山草庵跡の説明板も大きな椿の木に埋もれたようになっていました。
親鸞聖人は1207年35歳の時に、師の法然と共に流罪となり、法然上人は四国土佐へ、親鸞聖人は越後へ流されます。

流罪が許されたのは、流罪の5年後の1211年でした。そして法然は京に戻る事が出来ましたが、戻って直ぐの翌年80歳で入滅しました。
親鸞は京へは戻らず(戻れず?)やってきたのはこの常陸国でした。

常陸国では小島草庵(下妻)に先ず入り(1214年)、そこから笠間の稲田草庵(現西念寺)へ移り常陸国での布教をしています。
ここの大山草庵に来た年代は1216年と考えられています。そして、ここを常陸国北部の布教の場にしたようです。

稲田草庵は有名ですが、比較的この大山草庵については記述が少なく、不明な部分が多いのですが、この草庵にて、親鸞は1216年11月に法然上人の追悼法会をここで勤めたといわれています。

そして、常陸を離れて京都に帰るときに、ここ(大山禅坊)を弟子の定信に譲ったのです。

この大山禅坊は寺伝では、定信(じょうしん)から親鸞の子の善鸞(破門)の実子善明(ぜんみょう)へと受継がれ、1290年に阿弥陀寺と名前を変え、1391年に、額田城主の小野崎氏の招聘により、阿弥陀寺は大山から額田城の守護寺として額田城内に移転しました。

(記事は 「親鸞聖人を訪ねて ー 二十四輩寺院 -  阿弥陀寺」(こちら)を参考としています。)

この阿弥陀寺は枝垂れ桜の名所として水戸近郊では有名ですが、この桂村の大山から移されたものです。

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この碑のすぐ奥に「延命地蔵尊」という堂宇があります。

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お堂の中には石の地蔵尊がおまつりされています。

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この地蔵尊についての説明は下記説明を読んでください。

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この堂宇の周りにはたくさんの石像などが置かれていました。
また多くが首がないものも多くあり、恐らく廃仏毀釈で寺にあったものなどが壊されたものだと思われます。

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裏手には、お寺の住職の墓石と思われるものもありました。
何処にあったものなのでしょうか?

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<関連記事>
1.親鸞小島草庵跡 ⇒ こちら
2.西念寺(親鸞稲田草庵跡) ⇒ こちら
3.阿弥陀寺(額田)と親鸞大山草庵(1) ⇒ こちら
4.阿弥陀寺(額田)と親鸞大山草庵(2) ⇒ こちら




笠間方面 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/12/25 07:22
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