大生神社(元鹿島)
本年もいよいよ押し詰まってまいりました。
先日訪ねた「大生神社(おおうじんじゃ)」を紹介しておきます。
潮来の町の手前から、車で山側に10分位入った所にあります。
大生(おおう)の杜の中に佇んでいます。
神社の鳥居は、拝殿手前にありますが、この森の中に続く道が参道のように森の中に続いています。

神社手前から見た森の入り口方面。
まさに大生神社の参道です。

正面の木で囲まれたところが大生神社です。
正面に鳥居がありその奥に拝殿が見えます。
また手前には左手に稲荷神社があります。

こちらが神社手前の「松和稲荷神社」
この神社も古く、大生神社と共に祀られてきたらしい。
謂れとしては、稲荷大神の祖とされる奉之伊呂貝(秦(はたの)伊呂巨(具)(いろこ(ぐ))が和銅四年(711)に餅に向かって矢を放つと餅は鳥となって稲荷塚の丘に飛んで来たので人々は稲荷塚の丘に稲荷の社を建立したという。
そして「オフ」一族が大生大神宮と合わせて祀ったと言われるが、明治以降、稲荷塚の丘からこの大生神社の手前のすぐ横に移転したという。ただこの由緒についてはよくわからない。

この神社の横に今までになかった新しい「大生神社七ツ井戸ご案内」という立て看板と、井戸らしきものも作られていました。
なにかに書かれているのでしょう。再現させているのかもしれません。


正面左が大生神社の拝殿と左側が斎殿 斎殿で神楽舞をやるのでしょう。

斎殿

拝殿

本殿

かごの木の古木


この大生神社はこの地に九州または近畿地方からやってきた飯富族(オフ:多氏)がこの地に最初に住み始め、古墳群も残されています。
鹿島神宮の元であるともいわれ、元鹿島とも呼ばれています。
ここにくるとなぜか昔の雰囲気を感じるものがあり、元鹿島というのもわかる気がします。
先日訪ねた「大生神社(おおうじんじゃ)」を紹介しておきます。
潮来の町の手前から、車で山側に10分位入った所にあります。
大生(おおう)の杜の中に佇んでいます。
神社の鳥居は、拝殿手前にありますが、この森の中に続く道が参道のように森の中に続いています。

神社手前から見た森の入り口方面。
まさに大生神社の参道です。

正面の木で囲まれたところが大生神社です。
正面に鳥居がありその奥に拝殿が見えます。
また手前には左手に稲荷神社があります。

こちらが神社手前の「松和稲荷神社」
この神社も古く、大生神社と共に祀られてきたらしい。
謂れとしては、稲荷大神の祖とされる奉之伊呂貝(秦(はたの)伊呂巨(具)(いろこ(ぐ))が和銅四年(711)に餅に向かって矢を放つと餅は鳥となって稲荷塚の丘に飛んで来たので人々は稲荷塚の丘に稲荷の社を建立したという。
そして「オフ」一族が大生大神宮と合わせて祀ったと言われるが、明治以降、稲荷塚の丘からこの大生神社の手前のすぐ横に移転したという。ただこの由緒についてはよくわからない。

この神社の横に今までになかった新しい「大生神社七ツ井戸ご案内」という立て看板と、井戸らしきものも作られていました。
なにかに書かれているのでしょう。再現させているのかもしれません。


正面左が大生神社の拝殿と左側が斎殿 斎殿で神楽舞をやるのでしょう。

斎殿

拝殿

本殿

かごの木の古木


この大生神社はこの地に九州または近畿地方からやってきた飯富族(オフ:多氏)がこの地に最初に住み始め、古墳群も残されています。
鹿島神宮の元であるともいわれ、元鹿島とも呼ばれています。
ここにくるとなぜか昔の雰囲気を感じるものがあり、元鹿島というのもわかる気がします。
大生神社、いかにも古い神社という感じですね。国土地理院の地形図で見ると、昔の水面より高い場所にあるようで、安定した地盤だったのでしょう。古い時代の氏族の動きは、興味深いです。今年も情報発信、よろしくお願いします。
今年もよろしくお願いします。
確かに鹿島の大神として鹿島神宮が祀られてはいますが、大和朝廷の古代部族の多氏たちがやってきて住み始めた場所として考えると少し高くて住みやすかったのかもしれません。いろいろ考えられる場所です。情報発信もだんだんと途絶えがちですが、もう少し頑張りましょう。