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庚申塔(6) 三熊野神社(常州牛堀)

 「常州牛堀」というのは、葛飾北斎が富岳三十六景に描いた富士山の浮世絵でもっとも山から遠い場所である。
常陸国は江戸時代には結構一般的に「常州(じょうしゅう)」と呼ばれていたのでしょう。

牛堀は今は潮来市に合併されていますが、潮来市の西側はずれ、もっとも霞ヶ浦に近い場所です。

江戸時代から霞ヶ浦、北浦などは江戸との間に水運が発達していて、この牛堀地区は北(水戸、仙台方面)から、西(土浦、石岡方面)から荷物や客船が頻繁に通っていました。

高瀬舟なども、帆を張った舟も多く、海風の方向でこの港に船を泊めて、風待ち港として使われており、風待ちの客相手の商売としても結構栄えていたようです。

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北斎の絵は、この港の舟に寝泊りしていた船頭の朝の様子(米を磨いでいる)を描いたもので、ここから昔は良く富士が眺められたのでしょう。

この牛堀の港に近い場所に「三熊野神社」があります。

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1つの鳥居の先に3つの社が並んでいます。
その正面の拝殿手前の石段左横に庚申塔と思われる少し大きな石塔が置かれています。

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年号が入っているようですが、よく読むことが出来ません。
延宝元年?? とも読めそうだが・・・ とすると江戸時代初期の1673年か?

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塔の下部にはしっかり三猿が描かれています。
又その下の左右によくわからない像が置かれています。
一般には鶏が多いので、鶏だろうと思うが・・・
「庚申は申から酉の日にかけての行事だから、猿と鶏を彫る」というのが定説のようです。

江戸初期には庚申の行事の本尊が青面金剛と定まっておらず、全国的にも青面金剛像の初出は福井県にある正保4年(1647年)が現存最古とされているという(Wikiより)

また奥の隅には二十三夜塔と並んで青面金剛が描かれた庚申塔も置かれていました。

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神社から川(常陸利根川)まですぐです。

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ここは北斎公園として少し川沿いに広場を作っています。

川の上流側(左側)には国道50号線の橋が見えます。 右は鹿島から水戸へ、左は成田から千葉へ繋がっています。
この橋の奥が霞ヶ浦で、ここから銚子の方に常陸利根川が流れています。(途中で利根川に合流します)

写真の左側に水門が見えますが、ここから横利根川となって、北側の利根川まで運河の機能を持つ水路(横利根川)が流れています。


庚申塔 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/02/03 17:04
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