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庚申塔(16) 銚子の庚申様(2) 清水坂上

 千葉県銚子市は「日本のとっぱずれ」などともいわれ、日本本土で平地では一番早く日の出が見れるところだといわれています。

そんな銚子市も漁業が盛んになって開けたのも江戸時代になってからで、九十九里浜に続く岩場の多い外川周辺でまず和歌山からの人がやって来て漁業が興されました。
今の利根川河口に沿った港町は下総台地の下に細い帯のように広がっていますが、かなりあとから利根川が江戸初期に流れを変えさせられ、関東や東北方面からの水運(霞ヶ浦、利根川など)が発達してから発展したもののようです。

この現在の銚子港から川口漁港あたり、またその山側(南側)には多くの庚申信仰があったようです。
そんな名残りの庚申塔を探して、「銚子の庚申様」として少し紹介しています。

今回は清水坂上信号近くにわかれ道の辻に建っている庚申堂を紹介します。

国道244号線を犬吠崎方面に曲がらずに真っ直ぐ黒生(くろはえ)町方面に進んだ、本銚子(もとちょうし)駅の近くの清水町の少し高台を東に走る道路沿い。
清水坂下信号と、清水坂上信号の中間。

手前には江戸時代に平田篤胤が書いた天狗小僧寅吉の子孫が開いた「天狗湯」という銭湯があったすぐ先。
昨日もこの庚申塔を再度訪れていたときに、この天狗湯跡地辺りで何かを探していた自転車に乗ったご婦人と会った。
話しかけるとやはり天狗湯の跡地を探していたのだと・・・・

この場所が天狗湯のあった所だとお教えすると、喜んでおられ、まわりのごみを拾ってきれいにして帰られるというので、そこでお別れしました。

清水町の町名はこの場所に湧き水が豊富に湧き出ていたことから名付けられています。

坂を少し登った「清水坂上」信号の少し手前に二股に分かれる道の角に「庚申堂」があります。

このお堂の中に庚申様が祀られています。

P2110302s.jpg

このわかれ道のところに庚申堂がお祭りされ、手前には狛犬や鳥居も置かれていました。
庚申堂の周りを囲う石柱などは古い感じでしたが、鳥居は比較的後からつけられたものかもしれません。

ところで、この辺りでは庚申様は御祭りして拝む信仰の対象なのかもしれません。
かなり最近まで庚申講が続いていたように思います。

明治になり、廃仏毀釈運動で、仏教に関するものがかなり壊されました。
この庚申塔なども対象になり、多くが廃棄されたりしたと思われます。
ただ、この辺りに多く残されているのは、きっとこの庚申様=神様=神社というような扱いになったのだと思います。

P2110304s.jpg

堂の中には2体の庚申塔が安置されていました。

両方とも邪鬼を踏みつけている青面金剛像です。
向かって左は邪鬼が2体あります。

P2110307.jpg

この鳥居の手前角に古びた石柱が置かれており、この分かれ道の追分のようです。

「左 ふとう 川口明神」?? と書かれているようです。
もう一つの面には「四国同行」と彫られていました。

P2110309s.jpg

正面にはなにやら和歌のような文字が彫られていますが、よく判読できません。
銚子の観音様といわれる「飯沼観音」から「川口神社」に向かう別れ道の道標でしょうね。


庚申塔 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/02/12 14:37
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