庚申塔(19) 銚子の庚申様(5) 庚申神社
千葉県銚子市の庚申様を拾い出しています。
庚申信仰は民間の信仰ではありますが、その元の思想は道教ですから、神社というより仏教系になると思います。
しかし、この地に息づいている信仰は「神社」に祀られたり、庚申様を直接祀ったりして、鳥居や狛犬などを配しているものも少なくありません。
銚子の駅に近い中央町にある神社の境内に「庚申神社」と書かれた神社があります。
場所は、銚子駅から港側に進んで市役所の通りを反対側の右側に少し進んだところ。
現在の中央町です。 神社の名前は「白幡(しらはた)神社」 町中の神社としては中規模の神社でしょう。
この辺りは、昔は荒野村(こうやむら)と呼ばれており、1374年の海夫注文(香取文書)に「いひぬまかうやの津」とかかれているそうです。
津というのは船の着く湊のことですので、その頃から船での物資輸送が行われていたと思われます。
白幡神社の創建についてはわかっていないようですが、出雲族との関係が伺われます。
祭神は大国主の子供の「味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)」です。この神は大国主が国づくりを終えた後、こちらのほうにやってきて国土を開拓した神といわれています。
白幡の名前は、銚子周辺にたくさん残る源義経伝説とも関係し、義経が弁慶と亀井六郎を連れて参詣した時に白い旗を残していったという伝説からだといいます。
現在この神社の境内に島根の出雲神社から分社された「出雲神社」があり、この2つの神社に挟まれたように「庚申神社」があります。

江戸時代に利根川河口に開けたこの銚子の荒野村の氏神を祀る鎮守として発展をしてきたものと思われます。
夏の祭りには高崎藩(ここ銚子は高崎藩の飯沼陣屋があった)や仙台藩(船運が盛んな時には仙台など東北や、関東の荷物が船運で銚子から利根川、荒川経由で江戸に運ばれた)などから寄進があったという。

上に神社の年中行事をUPしておきます。
庚申神社は白幡神社と境内社の出雲神社の間に挟まれるように鎮座しています。

鳥居と形の良い阿吽の狛犬がいます。

神社の拝殿の扁額には「庚申神社」と書かれています。

この社の中には、庚申様をお祀りしているのでしょう。 このような神棚?が置かれていました。
庚申塔はどこかというと、この社の裏手にまとまっておかれていました。

江戸時代の年号の彫られた庚申塔など20基ほどが置かれていました。

寛政年代(1789~1801年)頃の庚申塔です。

享和年代(1801~1804年)頃の庚申塔です。



青面金剛が邪鬼を踏みしめてにらみを利かせています。
後列に少し大きな庚申塔が3基並んでいます。

3基の右側の庚申塔です。
明和3年(1766)の造立で、正面に「大青面金剛童子」と彫られ、左側にはこの庚申塔が仙台石巻の船関係者が寄進したことを示す文字が彫られています。
(奥州仙台石之巻船頭 春日新艘十五人乗舩中)

庚申塔の台座にはしっかり三猿が彫られています。

真ん中の庚申塔は一番大きく、また銚子の庚申塔では一番古いといわれています。
造立されたのは延宝8年(1680)ですが、ここに荒野村の町割りが延宝2年から3年にかけて行われた記録が残されています。

下側にはやはり三猿が彫られています。

その左の庚申塔は、明和九年(1772)の造立で、中央に青面金剛が邪鬼を踏みつけており、その両側に2童子が彫られています。


この像は下に三猿ではなく、青面金剛に従う四護法善神の「四夜叉」が彫られています。

最後に手前にある少し変わった像を紹介します。
この像は馬に乗った八幡大神だといいます。
造立年はわかりません。
庚申信仰は民間の信仰ではありますが、その元の思想は道教ですから、神社というより仏教系になると思います。
しかし、この地に息づいている信仰は「神社」に祀られたり、庚申様を直接祀ったりして、鳥居や狛犬などを配しているものも少なくありません。
銚子の駅に近い中央町にある神社の境内に「庚申神社」と書かれた神社があります。
場所は、銚子駅から港側に進んで市役所の通りを反対側の右側に少し進んだところ。
現在の中央町です。 神社の名前は「白幡(しらはた)神社」 町中の神社としては中規模の神社でしょう。
この辺りは、昔は荒野村(こうやむら)と呼ばれており、1374年の海夫注文(香取文書)に「いひぬまかうやの津」とかかれているそうです。
津というのは船の着く湊のことですので、その頃から船での物資輸送が行われていたと思われます。
白幡神社の創建についてはわかっていないようですが、出雲族との関係が伺われます。
祭神は大国主の子供の「味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)」です。この神は大国主が国づくりを終えた後、こちらのほうにやってきて国土を開拓した神といわれています。
白幡の名前は、銚子周辺にたくさん残る源義経伝説とも関係し、義経が弁慶と亀井六郎を連れて参詣した時に白い旗を残していったという伝説からだといいます。
現在この神社の境内に島根の出雲神社から分社された「出雲神社」があり、この2つの神社に挟まれたように「庚申神社」があります。

江戸時代に利根川河口に開けたこの銚子の荒野村の氏神を祀る鎮守として発展をしてきたものと思われます。
夏の祭りには高崎藩(ここ銚子は高崎藩の飯沼陣屋があった)や仙台藩(船運が盛んな時には仙台など東北や、関東の荷物が船運で銚子から利根川、荒川経由で江戸に運ばれた)などから寄進があったという。

上に神社の年中行事をUPしておきます。
庚申神社は白幡神社と境内社の出雲神社の間に挟まれるように鎮座しています。

鳥居と形の良い阿吽の狛犬がいます。

神社の拝殿の扁額には「庚申神社」と書かれています。

この社の中には、庚申様をお祀りしているのでしょう。 このような神棚?が置かれていました。
庚申塔はどこかというと、この社の裏手にまとまっておかれていました。

江戸時代の年号の彫られた庚申塔など20基ほどが置かれていました。

寛政年代(1789~1801年)頃の庚申塔です。

享和年代(1801~1804年)頃の庚申塔です。



青面金剛が邪鬼を踏みしめてにらみを利かせています。
後列に少し大きな庚申塔が3基並んでいます。

3基の右側の庚申塔です。
明和3年(1766)の造立で、正面に「大青面金剛童子」と彫られ、左側にはこの庚申塔が仙台石巻の船関係者が寄進したことを示す文字が彫られています。
(奥州仙台石之巻船頭 春日新艘十五人乗舩中)

庚申塔の台座にはしっかり三猿が彫られています。

真ん中の庚申塔は一番大きく、また銚子の庚申塔では一番古いといわれています。
造立されたのは延宝8年(1680)ですが、ここに荒野村の町割りが延宝2年から3年にかけて行われた記録が残されています。

下側にはやはり三猿が彫られています。

その左の庚申塔は、明和九年(1772)の造立で、中央に青面金剛が邪鬼を踏みつけており、その両側に2童子が彫られています。


この像は下に三猿ではなく、青面金剛に従う四護法善神の「四夜叉」が彫られています。

最後に手前にある少し変わった像を紹介します。
この像は馬に乗った八幡大神だといいます。
造立年はわかりません。
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