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庚申塔(20) 銚子の庚申様(6) 都波岐神社の200庚申

 この庚申塔シリーズも今回が最後となります。
だらだらと続けてしまい、あまり興味のない方には申し訳ありませんでした。

最後は千葉県銚子市高神(たかがみ)町の200庚申とも言われる都波岐(つばき)神社を紹介します。
ここにはすごい数の庚申塔が林立しています。

庚申信仰も神社や森の木の下などに集められて、100庚申などと呼ばれる場所がいくつかあるようです。
ここで紹介したものでも、銚子の少し手前の松岸近くにある海上八幡宮などにも100庚申と呼べるものがありました。

今回紹介する都波岐神社は恐らく200基くらいの庚申塔が神社の境内の至る所に置かれています。

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この都波岐神社(つばきじんじゃ)は銚子と外川の中間くらいの内陸部にある「高神町」の南端部にあります。

昭和12年(1937年)に銚子市に組み込まれるまで、外川漁港や犬吠埼も含めた一体領域が高神村と呼ばれていました。

神社はその台地の先端部の高台に鎮座していました。

入口鳥居が2つあり、2つの社があります。
この鳥居の道路を隔てた反対側の高台には墓があり、これは銚子陣屋代官庄川杢左衛門頌徳碑だそうです。

都波岐神社(つばきじんじゃ)は三重県鈴鹿市に同じ名前の神社があり、そちらは伊勢国の一宮とされる古社だ。

三重県のは都波岐神社は、奈加等神社(なかとじんじゃ)と一体(相殿)のように祀られ、都波岐奈加等神社と一緒にして呼ばれたりするという。
そして、都波岐神社には猿田彦大神を、奈加等神社には、天椹野 命 、中筒之男命が祀られている。
もう一つ同じ鈴鹿市に同じ猿田彦を祀る「椿大神社」があります。

この銚子の都波岐神社も祭神は猿田彦大神です。

こしてみると庚申信仰は、神社では猿田彦神と同じに祀られていたのかもしれません。

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60年に一度の庚申の年に庚申塚を築いてきたとされており、その最初は元文五年(1740)だそうです。

それから60年ごとに庚申塚が築かれてきたそうです。
最近の庚申年が昭和55年(1980)で、この時の式年祭で、第5塚が築かれたそうです。

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この高神村の村民にとって、おそらく一番身近な神様が「庚申様」だったようです。

正月・五・九・十一月の庚申詣で、この前の道路を多くの人が行き来していたといわれています。

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上の右側の石塔は彫刻がわからなくなっていますが、下のほうには三猿ではなく、四夜叉が彫られているのかもしれません。

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こちらも六臂ではないので青面金剛ではなく、阿弥陀様なのかもしれません。
初期のころは青面金剛像との定めはなかったようです。

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社殿の裏手にはこのようにたくさんの庚申と書かれた石塔が無造作に置かれていました。

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二十三夜塔もありました。

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こちらは「西国三十三・・・」と読めます。
関西の三十三観音霊場巡りを終えた記念碑でしょうか?

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こちらは「月山・湯殿山・羽黒山」巡りの供養塔です。

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そのすぐ足元には小さなたくさんの庚申塔が埋め込まれるように並べられています。

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こちらの像は、六臂の青面金剛像ではありませんが、結構大きな邪鬼を踏みつけて、にらみつけている怖い表情の金剛像(大王?)です。

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古びた社殿には立派な彫刻がありました。
この板戸の彫刻は、龍と闘う神が彫られているそうです。

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庚申塔 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/02/16 06:08
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