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(大根田)願入寺跡

 茨城県道12号線を那珂川大橋から北上すると、旧緒川村に入る。その下小瀬地区の通り沿いに気になる看板がある。

「願入寺跡」の矢印看板だ。

約2ヶ月前にもここを通ったときにやはり気になり、案内に従って捜そうとしたが、直ぐの場所なのにその少し先へ行ってしまったらしく見つけられなかった。

今回は見つけてやろうと置かれている案内看板の地図をよく見てみた。
通りから200m先を右に行ったところで、曲がるところの先にハウスがあるという。

地図を描いたときとは違ったようで、ビニールハウスの数が増え、手前にもハウスが出来ており、ハウスにはさまれるように奥の家に続く道があった。

どうも人の家に入ってしまいそうだが、他に道はなさそうなのでそのまま車で入って行った。

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農家の家の横の裏に少しこんもりとした丘があり、大きな木の下に、小さな祠と石碑が見えた。
この直ぐ裏手は小さな川が流れている。

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こじんまりした社殿(祠)と隣りに石像、そしてその脇に立派な石碑が立っていた。

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石碑は「浄土真宗 大根田願入寺 真言宗 成就院 跡」と二つの寺院の名前があった。

今迄、浄土真宗の願入寺は大洗に水戸光圀が福島県の大網から移してきたものと思ってきた。
大洗の願入寺にもこの大網のことは書かれていたが、詳しいことは書かれていなかったと記憶している。

元々、親鸞が京に戻って、長男の善鸞が常陸国の布教をしていたが、親鸞の教えと違う方向に行ってしまったため、親鸞は善鸞を破門してしまった。
そして、その顛末を含め真の教えを弟子が纏めたのが有名な歎異抄だ。

常陸国の布教はその後、孫の如信が引継ぎ、福島県まで足を伸ばして建てたのが「願入寺」だ。

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こには福島県南部の大網からこの地に移った経緯等も記されていた。
知らなかったことが多い。
詳しくは上の写真の説明を読んでください。

この如信は、親鸞の臨終に帰ることが出来ず、その後に帰る途中で立ち寄った大子町上金沢にある太子堂〈現、大網山法龍寺)にて亡くなった。墓はここ二ある。
私も、昔訪れたことがある。

なかなか印象深い寺だった。

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願入寺が光圀によって大洗に移され田後に、ここに真言宗の成就院が建てられたのだという。

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祀られているのは「青瀧権現」だそうだ。

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青瀧権現の本地仏は准胝観音と如意輪観音だという。

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直ぐ横には以前の寺のときにあった代々住職たちのお墓でしょう。

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こじんまりした本当に人家の裏というような場所ですが、なかなか重い歴史がありそうです。

県道12号線をこの少し先に行くと「水戸黄門で出てくる風車の弥七のモデルといわれている人物と妻・お新の墓への案内板がある。

また大洗の願入寺には、石岡・照光寺の旧本堂が移築され、願入寺の資料館(開基堂)として使われている。

常陸大宮・太田 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/02/22 06:45
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