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水雲問答(2) 経国の術と権略

水雲問答の2回目です。

これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

今回からは甲子夜話の本の抜粋を友達からお送りいただいたので、その記述の順に書いていこうと思います。

甲子夜話 巻39 <1>

 安中侯板倉伊与守は年少傑出の資なりき。勤学も頗(すこぶ)る刻苦せしが、不幸にして疾を得て早世しぬ。頃(このごろ)その遺せる一冊を獲て懐旧に堪(たへ)ず、且一時の問答と雖ども実学の工夫を助くべし。因て予が『叢薈冊子』の中に攙入(ざんにゅう)す。白雲山人は侯の匿名なり。墨水漁翁は林子の匿名。

安中藩主の雲:板倉綽山はなかなか学問に熱心で優秀な若い藩主であったようです。しかし35歳くらいで早死にしています。
一方の水:林述斎はこの甲子夜話にはたびたび「林いわく」などとして登場する幕府の大学頭です。

水雲問答2

水雲問答(2) 経国の術と権略

雲:
 経国の術は、権略も時として無くばかなはざることに存候。余り純粋に過ぎ候ては、人心服さぬこともこれ有る様に存ぜられ候。去りとても権略ばかりにても正を失ひ申すべく候間、権略を以て正に帰する工夫、今日の上にては肝要かと存候。

(訳)
国をおさめるには、権略(その場に応じた策略)も時としては必要でしょう。
余り純粋に過ぎると、人心が服さないこともあるように思われます。
とは言っても、権略ばかりでは正を失ってしまい、本来の意図することを見失ってしまいます。
そのため権略をもって正に帰する工夫が、今日の上(幕府)には大切だと思います。


水:
 権は人事の欠くべからざることにして、経と対言仕(つかまつり)候。
秤の分銅をあちらこちらと、丁ど軽重に叶ひ候処にすゑ候より字義をとり候ことにて、固(もと)より正しきことに候。
仰せ聞けられ候所は、謀士の権変にして、道の権には非ず候。程子の権を説き候こと、『近思録』にも抄出これ有り、とくと御玩味候様存(ぞんじ)候。

(訳)
権(力)は人事において欠くことのできないもので、経(営)とは対の言葉です。
漢字の権という字は天秤(はかり)の分銅のことで、これをあちらこちらと動かして丁度良い所にあわせるということ(字義)から生れた言葉ですから、もとより正しいことです。
しかし、貴方のおっしゃっている権略は、謀士(策士)の権変であって、道の権ではありません。
程子(ていし:中国の儒学者、程伊川)が権を説いた書(程伊川が朱長文に答えた書)があり、『近思録』にも抄出(抜き書き)がされておりますので、とくと御玩味(熟読)されたらよろしいかと思われます。

 
<ポイント>
 ここに、権の持つ意味をよく理解して、人はいかにあるべきかをよく心得て権略をなすことがきわめて大切だと説いています。
権は天秤の分銅であり、政治も圧力団体の陳情などに惑わされず、自分の分銅が常にぴたっと止まる心の位置を守っていれば間違える事はないというのです。

裁判所や弁護士バッチにも使われている天秤の図はよく目にするものですが、この「権」の持つ本来の意味(天秤の分銅)を理解したいものです。

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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/14 08:15
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