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石岡の幸町

 昨日は暑さがぶり返しいささか気分が悪くなった。そこで久しぶりに外食をした。場所は県道7号線の石岡第一病院の少し先のジャスコよりの場所(東府中)の「青葉」という台湾料理屋さんである。最近できた台湾人の方の経営するお店である。まだ開店まもないのでお客さんの入りはあまり良くなかったが、本格的な台湾料理(点心など)が食べられる。比較的美味しいと感じた。すぐそばには中国人の経営する中華料理のお店もあり、石岡は外食産業は人口の割合にとても多いと思う。
 さて、昨日は泉町の話をしたので、今日は旧町名が「幸町」のことを少し書いてみたい。私は各町内会から見れば他所者であるので、この町名を聞いても場所がよくわからなかった。現在の住所表記では国府7丁目あたりと思う。旧水戸街道の府中宿の入口にあたる。現在の6号国道から県道355線で市街地方面に左折し、登り坂の途中で斜め左に入ったあたりだ。こちらが昔の水戸街道であろう。幸町という名前は若松、泉町などと同様に江戸時代の宝永年間に変わったという。その前の町名は「土器屋(かわらけ)町」といった。「かわらけ」という地名は全国に多く存在し、また各地に素焼きの皿などを高いところから下に投げる「かわらけ投げ」などがの風習が残っている。石岡といえば国分寺があるが、この国分寺のやねの瓦を焼いたとされるところは旧八郷地区の瓦会(かわらえ)地区だ。瓦を焼いた窯が数基発掘されている。しかしこの地区の現在の町名は瓦谷(かわらや)である。もともとは瓦谷という地区もありこちらも「かわらえ」と読んでいたようなのであるが、新住所に変わるとそれまでの歴史が薄れていくように思われてならない。
さて幸町の土器屋(かわらえ)であるが、何が焼かれていたのであろうか?
「府中雑記」には「今幸町ト云ウ所宝永年改ル往古土器屋ト云リ、其故ハ国府ナル故ニ古実ノ神事数多アリ、其時窪手平賀ナト云土器ヲ製セシ所也ト云ヒ伝フ」
と書かれているという。石岡は寺も多く、神事も盛んに行われていたため、この近辺に神事用土器の職人が多く住んでいたと考えられる。幸町ではそのようなことは伝わってこない。少しでもどこかにそのような地名の痕跡を残しておいてほしいと願っている。旧水戸街道は現在の355線を通り、泉町へ右折していたが、鎌倉時代の古東海道や鎌倉街道なるものはこの道ではなかったはずで、おそらく街道の入口となる前からそのような人たちが集まっていたのであろう。石岡「三光宮」といわれる日天宮がある。

地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/12 14:46
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