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水雲問答(3) 治国の術と人心

これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答3

水雲問答(3) 治国の術と人心

雲:
 治国の術は人心を服し候こと急務と存候。人心服さねば良法美意も行はれ申さず。
施し寛に非ざれば人心服し申さぬなり。人心服し候肝要の御論伺ひたく候。
英明の主、とかく人心服さぬ者と。いかがのことに候や伺ひたく候。

(訳)
治国の術は人心を服させることが急務と思います。
人心が服さなければいくら良い法を作って、美しい気持で政治をやっても、それがきちんと行われません。
そのため人民に施すことやまた寛大に対処しなければ人心は服しません。
どうすれば人心が服するようになるのか、肝要のお考えをお伺いいたしたい。
また、世に優れた英明の主に、とかく人心が服さぬ者が多いといわれておりますが、これはどうしてなのかお伺いいたしたく思います。

水:
 施に過ぐることは濫賞(らんしょう)の幣あり。寛に過ぐるときは又縦弛(しょうし)の幣これ有り候。是れ等を以て人心を得候は、最も末なる者に候。我が徳義おのづから人を蒸化候処之れ有り候へば、人心は服し候者と存候。英明の主に人の服し申さぬは、権略にかたより候より、人祖(そ)の為(す)る所を詐欺かと思ひ候ゆゑに候。蕩然(とうぜん)たる徳意・内にみちて外に顕はるる時、あるもの誰か服せずして有るべきや。施もすさまじきには非ず。人君の吝(りん)なるは至っての失徳に候。寛も捨つべからず。苛酷納瑣(のうさ)の君は下堪へ難きものに候。

(訳)
人民に施(ほどこ)しが過ぎますと、賞をみだりに乱発する弊害となり、また寛容に過ぎますと、規律が弛(ゆる)むという弊害があります。
そのため、施しや寛容などをもって人心を得ようとするのは、最も末なる者です。
自分に備わった徳義がおのずから人を蒸化(心服)させるところがあれば、自然に人心は服するものです。
英明の主に人が服さないのは、頭が良いのでどうも手段・手法などの権略に片寄ってしまいがちです。そのため、人々はそのする所が人々を騙す詐欺ではないかと疑いをいだき、信用しません。
自分に備わった大きなスケールを伴った徳が満ちて、それが外にも現れた人物には、誰もが服するものです。
施しも度が過ぎるのはダメですが、ある程度は必要で、人君(君主)がケチであると徳を失います。
また寛容も必要ですが、あまり小さなことまで立ち入ってしまいます下々の者は堪えられないものです。


(コメント)
 当時の体制化での人心を服させる方法であり、今の政治とは少し比べられないところがありますが、施しや寛容もケチだと思われない程度には必要だけれど、あまり重箱の隅をつつくような小さなことまではしてはだめだという。
また、あまり頭の切れる上司などは、警戒されて部下から真に慕われているものが少ないようです。
ここでのポイントは、徳がその人の外に自然と現れるときに、人は従うということでしょうか。

水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/14 17:53
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