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水雲問答(4) 武の備え

これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答4

水雲問答(4) 武の備え

<雲>季世に至りて武の備(そなへ)怠らざる仕法は何(い)かが仕(つかまつ)るべきや。甚(はなはだ)むづかしきやに存(そんじ)候。

(訳)
 戦乱の世から時代が経ち、末の世になりますと、武の備えを怠らないようにする方法はどうあるべきでしょうか。
この方法はかなり難しいと思います。

<水>太平に武を備(そなふ)るは何(いか)にも難(むづかしき)ことに候。愚意には真理を暫くおき、まず形より入り候(そうろう)方が近道と存(ぞんじ)候。まず武具の用意をあつくして、何(い)つにても間に合ひ候ように仕(つかまつる)。
そのわけは火事羽織を物好にて製し候時は、火事を待(まち)て出たき心に成候が人情に候。武具備れば、ひと働き致したく思ふも自然の情と存候。
さて武伎も今様通りにては参らず候。弓鉄は生物猟を専(もっぱら)とし、馬は遠馬、打毬(ポロ)などよろしく、刀槍は五間七間の稽古場にて息のきれそ候類(たぐい)、何の用にも立ち申さぬ候。
広芝原などにて革刀の長仕合、入身(いりみ)など息合(いきあい)を丈夫に致し候こと専要と存じ候。是等(これら)より漸々(ようよう)と実理に導き候外(ほか)は、治世武備の実用ととのひ申すまじくと存候。

(訳)
 太平の世に武を備えるのは、いかにも難しきことと思います。これに対する私の真理の回答はしばらくおき、まず形より入る方が近道と考えます。
まず武具の用意を十分にして、何時でも間に合うようにすることです。 そのわけは火事羽織を物好きで製作しますと、火事が起こったときに活躍するのを待つような心になるのが人情でしょう。 このように武具が備わると、ひと働きしたくなるのも自然の情と思われます。(形が整えば、気持も一働きしたいと思うようになるものです。)
ただ、武伎(武術)については、今までのままで良いとは言えないでしょう。
弓鉄は生き物の猟(狩)をするのに専用とし、馬は遠馬(とおのり)や打毬(だきゅう、ポロ:馬術競技)などをするのに使うのが良く、また刀槍は五間七間(9m×13mの広さ)の稽古場では息がきれそうな類(たぐ)いであり、何の用にも立ちません。
広い芝原などで、革刀の長試合をして、入り身(相手の攻撃を外す身の処し方)など息合(気合)の鍛錬をすることをすることが大切です。
このことなどから、漸々(ようよう)と実理に導くこと以外は、今の様な治世において武備の実用を整える必要はないと思います。

(コメント)
入り身は現在「合気道」などでよく使われる言葉です。稽古場で息を切らせて稽古するだけでは、あまり訓練にならないと考えているようです。外に出て、実戦で試合相手との呼吸などを計ることが必要だといっています。



水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/14 18:53
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