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水雲問答(6) 人材(一才一能)

これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答6

水雲問答(6) 人材(一才一能)

<雲>人材の賢なるものは委任して宜しくそうらえども、その他の才ある者、あるいは進め,あるいは退けて、駕御(がぎょ:馬を乗りこなす)鼓舞するの術ありて人を用いざれば、中興(復興)することは能わざることと存候。時によりて張湯(ちょうとう:長安の役人)、桑弘羊(そうこうよう:武帝に貢献した人物)も用いずして叶わぬことも有るべからずに存候。

(訳)
人材も賢なるもの(見識と度量を兼備した者)には委任してもよろしいが、その他の才能だけある者に対しては、時としては任用し、ある場合には使わないというように、それら人をうまく制御するように用いなければ、衰えた国運を再興(いわゆる中興)することは出来ないでしょう。 それでも、時と場合によっては張湯(ちょうとう:長安の役人)、桑弘羊(そうこうよう:武帝に貢献した人物)のような曲者でも、用いなければならないことがあるのでしょうか。

<水>一才一能もとより棄(すつ)べからず。駕御その道をする時は、張桑(張湯も桑弘羊も)用ゆべき勿論に候。然れども我は駕馭仕(かぎょし)おほせたりと存候て、いつか欺誑(ぎきょう)を受け候こと昔より少なからず候間、小人の才ある者を用候は、我手覚なくては、妄(みだ)りには許しがたく候。

(訳)
 一才一能(一つでも優れた能力のある)の人材も、時によっては必要ですから見棄てることはできません。
馬を乗りこなすように人を制御できる時は、張湯や桑弘羊のような者でも使わなければならないことはもちろんありましょう。
しかし、自分は思うように人を使うことが出来ると思っていても、いつの間にか欺誑(ぎきょう:まんまとハメられていた)ということは、昔からよくあることですから、小人のような能力の者を用いるには、よほど腕に覚えないと、好き勝手に行うことは危険となりましょう。

(コメント)
 論語には「君子は和して動ぜず、小人は動じて和せず」という言葉があります。
ここで言っている「君子=徳の高い人」「小人=だめな一般人」くらいの意味かと思います。
また、「和して動ぜず=人と調和して仲良くできるが、何にでも賛成することはない」
「動じて和せず=何にでも賛同してしまうが、調和できない」との意味でしょうか。

ここでは国を統治する上に立つ者は、
小人をどう乗りこなして(操縦して)使っていくかが難しいが、必要だ
といっているのだと思います。

水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/15 11:01
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