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水雲問答(10) 国家の禍は私欲より起る

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答10

水雲問答(10) 国家の禍は私欲より起る

雲:
 凡そ国家の政をするに公儀と申すことを立て申したし。これは国家の禍はとかく人君の私欲より起り、或は大臣の私意より起り、群下の朋党より起り申候。其基は社稷(しゃしょく)を忘れ私に曳かれ申候故に候。故に小子の工夫にてこれを救ふ術は、公儀を立て申すべくと存候。公儀とは、人君は社稷の為に発せざる言行は臣下聴用せず。又臣下も社稷の為を忘れて希旨の言は必ず貶斥(へんせき)すべし。此の若く(かくのごとく)して君臣相和し、朝廷に一箇の公儀あるのみにて、国政安静に参り申すべきやに存候。君は社稷に臣下と共につかへ、臣下は君に仕へて社稷に背かざるを以て忠とせば、国家治まらざることは無しと存候。

(訳)
およそ国家の政(まつりごと)をするには公儀(公権力)というものを立てなければなりません。国家の禍は、とかく人君の私欲から起こり、または大臣の私意から起こり、また下の者たちが仲間と党を組むことから起こります。根本は社稷(しゃしょく:国家)を忘れ、私にひかれてしまうことで間違うのです。
そこでこれを救うためには公儀をたてなければならないと思います。
公儀 (公権力)も人君が社稷(国家)の為でなく私意私欲で発した言行には臣下の者は聴いてくれません。
また、臣下の者が社稷を忘れて私意私欲をはかることも必ず取り除かなければなりません。
このように君臣(君主と臣下)がお互いに和して、朝廷にただ一つの公儀があるだけとなれば国政は安静になることでしょう。
君主は社稷(国家)に臣下と共に仕え、臣下は君に仕えて社稷(国家)に背かないことを忠とすれば、国家が治まらないということは無いと存じます。

水: 
 公儀の論一々ご尤(もっとも)に候。然れども、その公とする所亦(また)大小軽重の弁之れ有り。人品の高下にて公にも高下之れ有り、近世とても公なきには之れ無く、其公皆小にして、大処に至り候と私に成り申候。つまりの所、人才蕞爾(さいじ:非常に小さいさま)の至りにては何もかも参らぬこと。大才の者列立して公儀を朝廷に張り候はば、千年と雖も一太平の化を透徹申すべくと存候。どうぞ公私の分をつけ候て考え候程の人をほしく候。それさへ之れ無く候へば、中々に公儀の論など行はるべきとも存ぜられず。そのくせに心中は皆公儀と心得居り申候人ばかりに候。

(訳)公儀の論は一々ごもっともです。しかし、公というものには大小とか軽重とかの問題があります。人の品格に高下があると同じく公にも高下があります。近世でも公のないものはなく、ただこの公が皆小さくなったり、大きな問題になると、この公が私になってしまいます。つまり、人才が蕞爾(さいじ:非常に小さいさま)に至っては何もかもうまくいきません。大いいなる才の持ち主がずらりと並んで公儀を朝廷に張れば、これから千年といえども太平の時代をも透徹(貫き通す)ことできると思います。
どうぞ公私の区別をはっきりつけることを考え、また区別をつけられる人がほしいものです。
この公私の区別さえもできなければ、中々、公儀の論などは行うことはべきではないと思われます。しかしこういった連中に限って、自分のすることは皆、公儀であるとばかり考えているのです。

(コメント)
この最後の辺りは、今の政治家にも当てはまりそうですね。
公私の区別もつけられず、自分さえ良ければ、次の選挙に勝てれば・・・などと全体の国民に対する(公に奉仕する)道徳感・使命感がなければ政治も衰退していくことでしょう。


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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/17 16:04
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