FC2ブログ

水雲問答(11) 才は徳に及ばず

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答11

水雲問答(11) 才は徳に及ばず

雲:
 世の中を達観仕候に、一種の公平、温厚庭底の人、才もなく術もなく、しかも高位に居して人心服し、天下安寧に化すること有るやに存候。公平の徳、大なるが故にいたす所に之れ有るや。公平の二字は宰相の人なくて叶はざることに候。公平、温厚の二条はずれて、高位に居て終を全くする者なきやに存候。是を以て見れば才は徳に及ばぬことと存候。

(訳)
 世の中をよく観察しますと、一種の公平、温厚な人は、才(才覚)も術(行う力も)ないのに高位にいて、人民が服し、天下が平和になることがあるように思います。公平の徳が大きいからうまくいくのでしょうか。公平の二字は宰相(大臣)の人には無くてはならないことの要件です。公平と温厚の二条からはずれて高位にいても、終りまで全うする者はいないと存じます。これをもってみれば、才は徳に及ばないことと思います。(才より徳が大切)

水:
 在上不覚は聖語にも見へ、上位の人の心得尤に候。既に実の寛厚と申す徳には之れ無く、才智不足にして寛厚に類し候人さへ全く候。まして才智全く備(そなわりて)候て寛厚の徳あらば、祖全き、論を待たずして明に候。今の人、才は寛厚の量なく苛刻に落ち、寛厚に見へ候は皆愚昧(ぐまい)に候。此所を備へ候人出(いで)候はば当る者之れ有るまじくと存候。

(訳)
 上に立つと、寛でない方が賢く見えますので、上位があまり寛容にせずにビシビシとやりたくなることももっともです。
また本当の寛厚ではなく、才智が不足しているために寛厚に見える人さえおりましょう。まして才智が全て備わって、さらに寛厚の徳があればそれは、全く論を待つまでもなく明白でしょう。
今の人は、才があっても寛厚の量がなく苛刻になりり、寛厚に見えるのは皆、愚昧(ぐまい:愚か)です。此の点をわきまえておる人が現れればこれに勝る者はいないでしょう。


水雲問答を最初から読むには ⇒ こちら
 (10件ずつまとまっています。 次の10件を読むときは最後の「Next」をクリック)

水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/18 05:45
コメント

管理者のみに表示