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水雲問答(17) 識は才学より上

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答17

水雲問答(17) 識は才学より上

雲:
 凡(およそ)人は才学勝れ申候も、一箇の識なくしては天下のことは了得申さず候ことやに存候。識の進方(すすめかた)、学問より外(ほか)之(これ)あるまじく、いづれ見通し申す識なくして大事は出来申すまじく候。鑑裁明断も識中より流出仕鐘楼ことと存候。

(訳)
 人は才智や学問に優れているといっても、ただ一つ「識」(正しい価値判断、見識)がなければ天下の事を行うことは出来ないと存じます。識(知識・見識)を得ることのすすめ方はやはり学問をする以外にはなく、知識を得てもそれを見通す識(見識)がなければ大事を行うことが出来ません。この見識があってこそ「鑑裁明断(かんさいめいだん)」(仕立て人が布を裁つように明らかに断定する)することも生きた学問(経験や実際の基づいた学問)による知識であることだと思います。

(コメント)
 頭にいくら知識を学問をして入れても、それが生きた知識として身に付くような学問をして、実際の場面で判断することが出来る見識を身につけなければダメだということでしょうか

水:
 識は才学より上たること高論の如し。識、天分に得るあり、学に得るあり、一様ならず天分識ありて学を兼る人、大事を預(あらかじ)め断ずべく、百千年のことをも議すべし。天分たらず、ようやく学によりて識を得る人、当否二偏なる所あり。

(訳)
 (見)識(生きた知識)は才学より上である事はその通りであります。識というものは天分(生まれつき備わった才能)によって得られるもの、また学問をする事によっても得られるものです。これは一様ではなく、生まれつき識があってさらにその上に学問をした人にはこれから百千年のことを議論してもいいでしょう。しかし、天分が足りずに、ただ学問をして識を得た人は判断に偏るところがあります。

(コメント)
 識を得るには学問をして得ることもできるが、天分がある者に敵わないといっています。天分が備わって、さらに学問をした人が最高ですが、これがなかなかいないということでもあります。天分は生まれつきですから、そういわれてもこればかりは困りますね。


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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/19 07:45
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