水雲問答(19) 君子自得
これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。
雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(19) 君子自得
雲:
『中庸』に君子自得と申す語、感服仕候。いづれ人は其場所々々場所に依り申候て、了見を附け申すべきことに候。『易』の変易たるも爰(ここ)に候。時務を知り候俊傑ども之れ有、進めば時を救ひ、退けば身を保つと申度ものに候。勿論死を憂ふるは部門の恥とすることに候へども、無益に死(しに)申すも又拙(つたな)きに存候。とかく進退は潔くいたし度候。邵康節(しょうこうせつ)の、天下の事に死するは甚だ易くして、天下の事を為すは甚(はなはだ)かたし、名言と存候。
(訳)
「中庸」に君子自得(人は案外自分の境遇に応じた事しか行わないが、君子はどんな境遇でも自得している)という言葉があります。これには感服いたしました。いずれ人は置かれた環境や身分によって考えを決めるのがよろしい。これが「易」の変易ということです。その時機や時代を知っている俊傑(優れた人物)はこれに当たります。進むべき時は進んでその時の救世主となり、退くべき時は退いて身の安全を図るものです。もちろん死を恐れるのは部門の恥とする所ですが、無駄死にするのは拙いものです。ともかく進退は潔くしたいものです。邵康節(しょうこうせつ:宋の初めのころの学者で、学を修めており、大変な博識でしたが、時代が安定していたため、悠々自適な生涯を送った。もし乱世に生まれていれば天下を争っていたといわれる人物)が「天下のことに死ぬのは容易であるが、天下のことを行うのは大変難しい」と申しているのは、これは名言と思います。
(コメント)
君子自得:君子は其の位に素して行ない、その外を願わず。富貴に素しては富貴に行い、貧賤に素しては貧賤に行い、夷狄(いてき)に素しては夷狄に行い、患難に素しては患難に行う。君子入るとして自得せざるなし(中庸)
(君子は自分の境遇に応じてなすべきこと行い、それ以外の出過ぎたことはしない。富貴な身分の者はその身分にふさわしい事を行い、貧賤な身分のものはその身分に応じた事を行い、外の未開の地に在れば、そこにふさわしい事を行い、苦境の時は、その境遇でやれることをする。君子はどんな境遇に置かれようが自分を見失うことは無い「自得」しているものだ。)
水:
自得もとよりなり。事業も手に入らばそのまま行ふべし。強ひて求むべからず。生涯の事業の顕(あらは)るるなき、是は命なり。君子ここに於て学を修め、書を作りて後に垂る。孔子の末路、朱子の晩年、皆同一事なり。死は云ふまでもなし。進退さへほんのことは出来申さぬ者なり。まして死をや。
(訳)
自得ということはまことに難しいことです。事業も自然に手に入ればそのままやるべきです。無理に何かを求めてはいけません。努力しても成功せず、生涯の事業(名を成す功績など)が顕(あらわ)れないこともありますが、これは運命です。君子たるものはこのような場合には学問をして、後世のために書物を作って残します。孔子の晩年、朱子の晩年、皆そうです。死ということは云うまでもなく免れることは出来ません。自分の進むべき時、退ぞくべき時のタイミングすら難しいものですものですから、まして悔いのない死に方をするのも難しい事です。
(コメント)
この考え方でしょうね。静山公がこの「甲子夜話」を書いて残した理由がこれでわかったように思います。
そうでなければ、20年間も書き続けることは並大抵の心構えではできないことですね。
ここでいう「自得」という言葉の理解をもう少し深めたいものです。
水雲問答を最初から読むには ⇒ こちら
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雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(19) 君子自得
雲:
『中庸』に君子自得と申す語、感服仕候。いづれ人は其場所々々場所に依り申候て、了見を附け申すべきことに候。『易』の変易たるも爰(ここ)に候。時務を知り候俊傑ども之れ有、進めば時を救ひ、退けば身を保つと申度ものに候。勿論死を憂ふるは部門の恥とすることに候へども、無益に死(しに)申すも又拙(つたな)きに存候。とかく進退は潔くいたし度候。邵康節(しょうこうせつ)の、天下の事に死するは甚だ易くして、天下の事を為すは甚(はなはだ)かたし、名言と存候。
(訳)
「中庸」に君子自得(人は案外自分の境遇に応じた事しか行わないが、君子はどんな境遇でも自得している)という言葉があります。これには感服いたしました。いずれ人は置かれた環境や身分によって考えを決めるのがよろしい。これが「易」の変易ということです。その時機や時代を知っている俊傑(優れた人物)はこれに当たります。進むべき時は進んでその時の救世主となり、退くべき時は退いて身の安全を図るものです。もちろん死を恐れるのは部門の恥とする所ですが、無駄死にするのは拙いものです。ともかく進退は潔くしたいものです。邵康節(しょうこうせつ:宋の初めのころの学者で、学を修めており、大変な博識でしたが、時代が安定していたため、悠々自適な生涯を送った。もし乱世に生まれていれば天下を争っていたといわれる人物)が「天下のことに死ぬのは容易であるが、天下のことを行うのは大変難しい」と申しているのは、これは名言と思います。
(コメント)
君子自得:君子は其の位に素して行ない、その外を願わず。富貴に素しては富貴に行い、貧賤に素しては貧賤に行い、夷狄(いてき)に素しては夷狄に行い、患難に素しては患難に行う。君子入るとして自得せざるなし(中庸)
(君子は自分の境遇に応じてなすべきこと行い、それ以外の出過ぎたことはしない。富貴な身分の者はその身分にふさわしい事を行い、貧賤な身分のものはその身分に応じた事を行い、外の未開の地に在れば、そこにふさわしい事を行い、苦境の時は、その境遇でやれることをする。君子はどんな境遇に置かれようが自分を見失うことは無い「自得」しているものだ。)
水:
自得もとよりなり。事業も手に入らばそのまま行ふべし。強ひて求むべからず。生涯の事業の顕(あらは)るるなき、是は命なり。君子ここに於て学を修め、書を作りて後に垂る。孔子の末路、朱子の晩年、皆同一事なり。死は云ふまでもなし。進退さへほんのことは出来申さぬ者なり。まして死をや。
(訳)
自得ということはまことに難しいことです。事業も自然に手に入ればそのままやるべきです。無理に何かを求めてはいけません。努力しても成功せず、生涯の事業(名を成す功績など)が顕(あらわ)れないこともありますが、これは運命です。君子たるものはこのような場合には学問をして、後世のために書物を作って残します。孔子の晩年、朱子の晩年、皆そうです。死ということは云うまでもなく免れることは出来ません。自分の進むべき時、退ぞくべき時のタイミングすら難しいものですものですから、まして悔いのない死に方をするのも難しい事です。
(コメント)
この考え方でしょうね。静山公がこの「甲子夜話」を書いて残した理由がこれでわかったように思います。
そうでなければ、20年間も書き続けることは並大抵の心構えではできないことですね。
ここでいう「自得」という言葉の理解をもう少し深めたいものです。
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