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水雲問答(20) 偏心より事を成す

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答20

水雲問答(20) 偏心より事を成す

雲:
 とかく大事を成就申候ことは、一心定まらず死を惜(おしみ)候所より生じ申し候。その訳は、戦国の人、無学不術にして然も大事を創建候こと、他の技能あるに非ず、唯死を愛するを恥とする一箇の偏心より、結局大事を遂げ申候やに候。
当世の人も、武夫(もののふ)たる者、死を愛せぬ偏心を腹中に貯へ申候へば、多少の怯心(けふしん)を省き、一心定まり申すべく存候。その上を学術にて修飾仕候はば、実(まことの)の人才にも成り申すべく候と考へ候。

(訳)
 大事を成就することは、一心が定まらず(わけもわからず)死を惜しむところから生じるものと云います。その訳は、戦国時代の人は、学問をせず、特に極めた技を持たずとも大事を成し遂げているのは、特別な技能もなく、だだ自分は何かをするためにいつ死んでもよいという一途な偏心(一途に思い込んだ心)から大事を成し遂げたのだと思います。
今の時代の人も、武士たるものは死を惜しまぬ偏心を腹の中にちゃんと持っておれば、多少の恐怖心も消え、心が定まります。そのうえで学術によって飾り付ければ、実際の役立つ人材になることでしょう。

水:
偏心より事を成す、面白き高論なり。これは古人の未だ言はざる所なり。ほんのことには有らざれど、棄てがたき所あり。殊のほかおもしろし。【然れども未だ学ばずといえども之を学びたりと謂はんの類にて、語に病あり。これをよくつずりとらば、至って着実の説話ならん。】
これは書生の論のようなれども、気質剛柔、清濁、いずれにしてもつまりの所、学を欠きてはならぬなり。況(いわん)や聖賢の学を為すはいかばかりのことならん。今師儒の法にて人才成り難し。

(訳)
 偏心より事を成すというのは、大変興味深いご意見です。このことは、昔の人も今まで言った人はおりません。少し癖のある表現ですが棄てがたい表現です。大変面白いと思います。【しかしながら、「未だ学ばずといえども之を学びたり」(まだ学んでいないと言いながら真髄を会得すればこれは学んだことになる)ということの類(たぐい)でして、言葉に語弊がありましょう。これを表現に手を加えれば、現実にあった説話(教訓)になりましょう。】
これは書生の論のようですが、人の気質は、剛と柔・清と濁などとさまざまですが、学ばなければだめです。まして、その上に聖賢の学を学べば大層立派になるでしょう。ただ、今日の儒者、学者などのお抱えの師の教育では人材を育てるのは難しいと思います。

(コメント)
 最後に、人材を育てる真の人材が少ないことを述斎先生(水)はなげいています。また、死をいとわずに(偏心にて)事を成した戦国時代の人のことは、その時代であって、学問はいつの時代にも必要だと言っているようです。


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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/20 07:59
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