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水雲問答(21) 逆取順守

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答21

水雲問答(21) 逆取順守

雲:
 逆取順守と申す語、聖人の制にははづれ申すべきなれども、英雄の心事に候。逆取順守も時としては用処之れ有るべく候。聖人の道も時に依り役に立ち申さず、其の他姦雄事業成就仕(つかまつ)るも図に当り機をはづし申さぬ故に候。君子は多く義理に拘(かか)はり、時を失ひ申候ゆゑ事を仕損じ候。大率(おおむね)姦雄は皆聡明頴利(えいり)、君子尽(ことごと)く正直愚拙(ぐせつ)。いかがの故にやと歎息仕候。

(訳)
 逆取順守(ぎゃくしゅじゅんしゅ:中国の殷(いん) の湯王(とうおう)や周の武王が、武力で天下を奪いとった後に、それを守るのに正道なよい政治を行ったことから、道理に背いたやり方で天下を取った後は、道理を守って国を治めること)という言葉は、聖人の制には外れますが、英雄の心がけでしょう。したがい、逆取順守も時としては用いることもあると思われます。聖人の道も時によっては役立たないことがあり、その他、姦雄(かんゆう:悪知恵を働かせて英雄となった人)が事業を成就させるのも、計画を実行するのに機会を外さないからでしょう。君子の多くは義理にかかわり、時期を失って失敗してしまいます。たいがい姦雄という人々は皆、頭がよく、利益を得るのがうまいですが、君子は正直・愚直であり行うことがへたくそです。どうしてそうなるのかと歎いているところです。

水:
 逆取順守、これを乱世に用ふべくして、治世に用ふべからず。治世に用ふれば大害を引出し、己も身を保つべからず。聖人亦是一種の英雄。子の南子に見(みま)え、胰肸(ひつきつ)の畔(そむく)さへも咄(はな)さうとて出られしこと勢しるべし。後の君子は君子といふまでにて、技倆(ぎりょう)なき者多し。これ書生の類にて、英雄と比肩すべからず。然れども君子小人の成敗は、如何にも高論の通りなり。

(訳)
 逆取順守という言葉は、乱世で用いるべきで、この治世においては用いてはいけません。治世で使うと大きな害が生じ、自分の身を保つことが出来ません。聖人もまた一種の英雄です。(論語にあるように)孔子が南子(いろいろ悪い評判も多かった衛の霊公婦人)に見(まみえ)えるために出かけようとしたとき、また、胰肸(ひつきつ;晋の領地の一地域の長官。反乱を起した者)が孔子を招いた時に孔子は思うところがあって会いに行こうとしたときに、弟子の子路が止めた話があります。孔子ほどの英雄(君主)なら兎も角、後の君主は、書生のように本を読む程度の類が多く、生きた学問をしておりません。そのため、かつての英雄とは比べ物にならず、君子と小人が争いますと、大概はずるがしこい小人に善人である君主が負けることになります。これはおっしゃるとおりです。


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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/20 17:15
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