FC2ブログ

水雲問答(22) 人は用い方による

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答22

水雲問答(22) 人は用い方による

雲:
 韓昌黎(かんしょうれい)曰くにも、棺(かん)を蓋(おお)うて是非定まると申すが如く、人は生涯を畢(お)え申さねば、品格もつけられ申さず候。小事に拙(つたな)きも大事は成し得、大事は糊塗(こと)候得ども小事は又敏なる者も之有(これあり)、何(いず)れ一方なる者にて、万事兼ね申候はこれ無きことに候。騏驥(きき)、人をかむ勢ありて千里を走り、駑馬(どば)、千里の能なくしてしかも馴使(じゅんし)の徳候。故に、英雄は翼を戢(おさ)めて風雲の念を待ち申候。百里の小邦は龐足(ほうそく)を展(のぶ)るに足らず候。

(訳)
 唐の文人韓昌黎(韓愈 768年-824年)が詩の中で「棺(かん)を蓋(おお)うて、事乃(すなわ)ち了(おわ)る」と申しております。人は生涯を終えなければ品格もつけられないと申します。小事には失敗ばかりしていても、大事に成功する人がいます。またその逆で小事には敏であるが大事はうまくいかないという者もいます。その両方を兼ね備えた人はおりません。名馬は人を噛む勢いがあり、千里も走りますが、駑馬(どば)は千里を走る能力はありませんが、人に馴れて仕事をします。だから英雄は翼をたたんでいて、風雲の起るのを待っています。三国志にある「百里の大賢の路」の例をあげるまでもありません。

(コメント)
三国志にあるように、諸葛孔明に並ぶとも称された龐統(ほうとう)は、最初はさえない見た目から地方の長官に追いやられて遊んでいたが、それを見た張飛が怒ると、溜まっていた仕事をあっという間に片付けてしまったという。これほどの逸材がいたのかと張飛は驚き「百里は豈に大賢の路ならんや」(百里のような狭い地を治める官職は、優れた人物の就くべき役職ではない)といったという。

(水):
 此の論確定易うべからず。

(訳)
 この論は確定されたもので易(か)えることが出来ないものです。



水雲問答を最初から読むには ⇒ こちら
 (10件ずつまとまっています。 次の10件を読むときは最後の「Next」をクリック)



水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/20 17:16
コメント

管理者のみに表示