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水雲問答(31) 原泉溝澮(こうかい)

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答31

水雲問答(31) 原泉溝澮(こうかい)

雲:
 小子道中にて雨に逢(あい)、雲霧の厚きは雨必ず強く、薄きは必ず微(かすか)なるをみて感ずることあり。基本厚きは必末(すえ)遠し。故君子の学を為すも、博く胸中に蓄積することを務むべし。其物に応て用ゆるとも端倪(たんげい)すべからず。浅露なるときは障支多かるべし。治国の術亦(また)然り。広く衆謀(しゅうぼう)を集めて而(しこう)後作用甚大なり。

(訳)
 私が道中で雨にあうとき、雲や霧が厚い(濃い)時は雨が必ず強くなり、薄いときは雨は微かにしか降りません。これを見て感じるのですが、基本として事案も暗雲が濃い時は先が遠いとおもいます。ゆえに君子が学をなすのも、日々、博く知識、学問を自分の胸の中に蓄積するように務めなくてはなりません。知識を物に応用して用いる時も初めから終わりまで安易に推し量るべきではありません。浅露の時は支障が多くありましょう。治国の方法もまた同じです。広く皆の意見を集めてから行うことは、作用が膨大になります。

水:
 これは『孟子』の原泉溝澮(こうかい)に喩(たと)へたると同一般の意にして、正面の道理なるばかり、何も発明の所を見ず。

(訳)
 この質問は、「孟子」が言った「原泉溝澮(こうかい)の喩え」と同じ内容であり、わかりきった正面の道理でしかありません。何も新しい発見の箇所は見えません。

(コメント)
 この孟子の「原泉溝澮(こうかい)の喩え」とは、『孟子』離婁(りろう)章句下にある話で、
弟子の徐子が孟子にこう質問しました。
 「仲尼(チュウジ:孔子)は、しばしば水について、『水なるかな、水なるかな』と言ったといいますが、水にどんな取り柄があるというのでしょうか。」
すると孟子は次のように言いました。
 「原泉(水源のある水)は、こんこんと湧き出でて、昼も夜も休みなく流れて、溝澮(こうかい:田圃の大きな溝、小さな溝)を満たせば次に進み、全てを満たしていく。およそ本源のあるものは、このようなもので尽きることがない。孔子はただこのことについて感心したのだ。」と
という話しがあります。


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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/23 12:33
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