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水雲問答(32) 光明正大

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答32

水雲問答(32) 光明正大

 雲:
 凡そ人は光明正大の四字を自修の符とすべし。悪をなし出す、多くは陰柔幽暗(ゆうあん)の処に於てす。陽光明々の地にしては必ず羞恥(しゅうち)の心を生ず。飲酒放縦の楽(たのしみ)も昼間に行はれずして、夜陰に行るるが如し。故に大義を作(な)さんと為(す)る者は、光明正大に身を押出して、我ながら媚弱(びじゃく)の業なし出(いだ)されぬやうにして、一箇の術略を以て処世の妙を顕(あらはさ)ば、古人の如く事をなし得べし。

(訳)
 およそ人は光明正大の四字を修学の御札とするべきでしょう。悪をはたらくのは、多くの場合陰の暗いところで行うでしょう。陽があたって明るい場所では羞恥の心が生じます。飲酒したり勝手なことをする楽しみもまた昼間には行われず、夜陰に行われると同じです。そのため、大義を行おうとする者は、光明正大に身を前面に押し出して、自分からいじけたところを出さぬようにして、一種の方法(手段)をもってやっていけば、古人のように事をなすことができるでしょう。


水:
此の論是(ぜ)なり。ただ立言に病(へい)あり。一ケの術略を以て処世の妙を顕すなど、聞(きこ)へ難きことなり。媚弱の業など何の事とも聞へず。総(すべ)てこれは皆真文にもなく俗文にもなき故、語と意の不都合にて、人を感ずる所なし。やはり答問書などの如く、俗文にしたる方、命意徹底すべし。

(訳)
 この論はもっともです。ただ、言葉の表現に不味いところがあります。「一ケの術略を以て処世の妙を顕す」というのは、すこし聞きがたいことです。媚弱の業などという事もよくわかりません。これらはすべて、漢文体(真文)にもなく、口語体(俗文)にもそのような表現はありませんので、語と意味が符合せず、人も感じません。やはり答問書などのように俗文(口語体)にした方が、命意が伝わるでしょう。



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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/23 12:35
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