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水雲問答(34) 大事、跡あるべからず

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答34

水雲問答(34) 大事、跡あるべからず

雲:
 大事をなし出すもの、必ず跡あるべからず。跡あるときは、禍必ず生ず。跡なき工夫いかん。功名を喜ぶの心なくしてなし得べし。

(訳)
 大事をなすものは、なにも形跡があってはなりません。跡があれば禍が必ず生じます。跡を残さぬ工夫はどうしたらよいか。それは巧名を喜ぶ心をなくして無心でやるしかないでしょう。

水:
 是も亦是なり。功名を喜ぶの心なきは、問学上の工夫を積(つま)ざれば出来まじ。周公の事業さへ男児分涯のこととする程の量にて、始て跡なきやうに成るべし。然らざれば跡なきの工夫、黄老(こうろう)清浄(しょうじょう)の道の如くなりて、真の道とはなるまじ。細思商量(さいししょうりょう)。

(訳)
 これもまた是(ただしいこと)です。功名を喜ぶ心を持たないというのは、学問上の工夫をよほど積まないとできません。周公(長い安定した王国「周」を建国した人物)の事業さえ、男一匹としての為すべき度量があって始めて、跡がないようになるのでしょう。跡がないようにすることだけに偏って工夫すると、いわゆる「黄老清浄の道」(中国の戦国時代末期から漢の初期に流行った、何もしない方が却って治まるという黄老道)のようになって、真の道ではなくなります。細かく考えて検討ください。


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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/24 05:54
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