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水雲問答(41) 声を先にする

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答41

水雲問答(41)  声を先にする

雲:
 凡ことを処申候に声を先と致し、実を後と致し申しべく候。喩(たと)へば研立(とぎたて)たる鉛刀は、人是を長るる如く、大手前にかかり候こと宜しくと存候。しかしてことを簡約に成就すべきことに候。声を大に揚(あぐ)るときは、破竹の勢を以て、成らぬこと迄押付け候。神武不殺の語甚だ関心仕候。

(訳)
 およそ事を処するには声(気合)をかけることを先にし、実(行動)を後にするのが良いとおもいます。例えれば、研ぎたての鉛刀は、人は皆驚くように、大上段に構えてするのが良いと思います。しかし、ことを簡単に成し遂げるべきです。何かをしようと声(気合)を大きく張り上げて、破竹の勢いで、出来そうもないこと迄やってしまうことが必要です。神武不殺(じんむふさい:優れた武道は殺すことはしない)という語にははなはだ感心します。
 

水:
 是又見る所ある御論に候へども、実ありて声を先にするは然(しかる)べきかな。其声実に叶はざるときは事敗れ申候。黔(けん)の驢(ろ)則(すなはち)これにて候。皆この辺の御論明快に候へども、英豪の所為にして、聖賢の平実坦易の説とは逕庭(けいてい)に候間、其人何(いか)んと申計(ばかり)に候。

(訳)
 この意見も又ある御論といえますが、実(実力)があって、声(気合)を先にするのはよろしいでしょう。実(実力)がないのに声を先にしても事は成し遂げられません。これは黔の驢(けんのろば)の話と同じです。このようなご意見は皆明快といえますが、これは英豪(優れた豪傑)だけが行えるところであり、聖賢が説く誰にでもわかる平易な説とは隔たりがあります。これはそれをやる人物次第といえましょう。


黔の驢: 中国の黔(けん)というところに驢馬(ろば)をつれていったが、その地方に驢馬がいなかったので虎も最初は恐れていたが、、驢馬が虎を蹴った力が弱かったので、化けの皮がはがれて驢馬は虎に食い殺されてしまったという話し


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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/26 11:27
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