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水雲問答(42) 次の世に種を残す

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答42

水雲問答(42)  次の世に種を残す

雲:
 凡そ祝融(しゅくゆう)の災大にして、火勢猛烈たるとき、人敢(あへ)て近づかず。もし近づくときは、必ず焼爛(しょうらん)す。一時の火すら斯(かく)の如し。況(いは)んや世の季運に赴くとき、人是を潔(きよめ)んとする愚の甚だしきなり。花の春過ぎて枯れ行くとき、郭橐駝(かくたくだ:植木屋の名人の名)あるとも是を養ふこと能(あた)はず。枯れ行くときは揚ずして、種を来春に残すを識者の業とす。治国の術また然り。

(訳)
およそ祝融(しゅくゆう:中国の神話の火の神)の火災が起き、その火勢が猛烈な時に、人はあえてそこへは近づきません。もし近づけば、必ずと言ってよいほど焼けただれてしまうでしょう。一時の火災ですらこのようですので、世の中が衰退して末世に向かうときには人がこれをどうにかしようと思っても、どうにもならず、どうにかすることは大変おろかなことです。春が過ぎて花が枯れ行くときに、郭橐駝のような植木名人でもこれをどうにかできるものではありません。枯れ行くときは、種を来春のために残すのが識者の業です。治国もまた同様です。

水:
 太田道灌の詠(うた)に、
  いそがずばぬれざらましを旅人のあとより晴るる野路の夕立
  何(い)かにも時を知らで勇往直前する者を戒(いましめ)候は、能く申とりたる哥(うた)に候。

(訳)
 太田道灌の詠にあります
  いそがずばぬれざらましを旅人のあとより晴るる野路の夕立
 (急がなければ濡れなかったであろうに、旅人が出て行った後に夕立も晴れた)
 
いかにも時を知らずに勇み立って進もうとする者を戒めるのによくできた歌です。

(コメント)
道灌の歌はその他
 いそがずば濡さらましを旅人の、跡よりはるる野への村雨(むらさめ)
とも別な書にはある。
愛知県豊明市栄町にある高徳院(高野山真言宗)に伝わる歌で、これが道灌の歌かどうかははっきりしていないという。
ただ、昔から「七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞ悲しき」という無名の少女の示した歌への返しといわれている。

ここでは、そんなに退廃してゆく世を悲観して考えることもあるまい、まだやることはたくさんあるでしょう。と言っているのでしょうか。
 

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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/27 06:23
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