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水雲問答(45) 人の用法

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答45

水雲問答(45) 人の用法

雲:
 用人の法は、剛柔相雑(あいまじへ)て使い候ときは自(おのづか)ら中正に至り申候。武田信玄、釣合の用法ふかく感心致し候ことに候。

(訳)
 人を用いる法は、剛と柔をあわせてうまく使う時には、自然にうまく真中の正しい所に至るでしょう。甲斐の武田信玄の武田家臣団の人の使い方には深く関心いたしました。

(コメント)
 武田家臣団はいろいろな各地の城主などの集まりで、その家臣をまとめていくために、信玄は「我、人を使うにあらず、その業を使うにあり」と言ったとされています。それぞれの者が持っている力・技能を最大限に活用させたといわれています。)

水:
 仏高力、鬼作左、どちへんなしの天野三郎兵衛、これ等芸祖人を用いるの法、武田氏則とするに足らずと存候。

(訳)
 家康公に仕えた三河三奉行の「仏高力・鬼作左・どちへんなしの天野三郎兵衛」これらの者を使用したことは、家康公が人を用いる法である。これに比べて、ご意見の内容を武田氏の法則とするには足りないであろう。

(コメント)
【仏高力】:高力清長(こうりききよなが)、岡崎三奉行の一人。家康が今川の人質の時からおそばに仕え、正直者で、温順にして慈愛深く、三河一向一揆では仏像や経典の散逸を防ぎ寺院お復興に尽力した。このため庶民から「仏高力」と呼ばれた。

【鬼作左(おにさくざ)】:本多重次(作左衛門)、岡崎三奉行の一人。思いのままに言いたいことを言い、剛邁で怒りやすい性格から〈鬼作左〉と呼ばれたが、行政面でも優れた人物で頭も切れたといわれる。しかし豊臣秀吉を怒らせて、秀吉の命を受けた家康により蟄居させられた。

【天野(康景)三郎兵衛】:三河一向一揆で三河の家臣団が分裂の危機にあったとき康景は一向宗を改宗して家康方に付き、分裂しそうになった家康の三河統一を助けた。三河三奉行の一人。寛厚にして思慮深く、公平無私な言行から〈どちへん(彼是偏)なしの天野三郎兵衛〉と呼ばれた。晩年,幕領民を殺害した自藩の軽卒を幕府に引き渡すことを拒否し,みずから領地を放棄し蟄居した。
・どちへんなし・・・何方(彼是)偏無し、 どっちにもかたよることがなく、公平であるという意味(方言?)

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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/28 09:46
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