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水雲問答(48) 身入れて事を為す

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答48

水雲問答(48)  身入れて事を為す

雲:
 天下国家を治る人、とかくに身を入れぬ故に、善きことも出来申さず。夫(それ)と申(もうす)も仕損じ候とき逃れんとすること先になり候故に候。愚意には、ことをなす時深入りすべきことと存候。もと此ことの成ると成らざるとは、識を以て断じ申候。見切申てずつと深入りいたし、四方八面みな推(おし)はなし、独立致すべく候はば、大事はなし得るに難かるまじく。兵法の死地に居るの論、治道にも用ふべき哉(かな)に存候。好事の妨げは半途にて止(とどま)るに有り候。

(訳)
 天下国家を治める人は一般に問題の中(渦中)に身を投じないために、善いこともできません。それと申しますのも失敗したら責任が降りかかってきますので、それから逃れようとすることをまず考えてしまうためです。愚意(私のつたない意見)としては、事を行うのに深く身を入れるべきと考えます。その事が成就できるか出来ないかは、自分の識(見識)で判断すべきであります。きちっと自分の考えでその事の中まで深く入って、四方八面(周り)に気を遣うことをやめ、独立すれば(毅然として行えば)大事をなしとげることも難しくはないでしょう。兵法には「死地に居る(入る)」という言葉があります。これは国を治める、治道にも用いたらよいと思います。好い事ができない妨げは何事も中途半端に止まってしまうことにあると思います。


水:
 これは英雄偉男子の為る所にして、庸(よう)常人の為し得ざる所に候。何ごとも斯(か)くありては、成らぬことは無き理に候。古人の為(せ)しこと、今より見れば、為し難きことを能く為おほせたるやうに見ゆること多く候。今人は為し易きこと皆為し得ず、若し為す時は仕損じ候。成事多きも、皆身をはめて為(する)と、にげ足ながら為(す)るとの差より起ること、高見の如くに候。識を以て断ずるに至りては、天稟(びん)と学力の二の外之無く候。己れの稟賦(ひんぷ)を頼まずして学を勤るこそ、識見を篤くし、大事を為すの基なるべき。

(訳)
 これは英雄偉丈夫のできることで、並みの人にはできないことです。何事もこのようにあれば、出来ないことは無いことです。昔の人が行ったことを、今から見れば、出来そうもないことをよく成し遂げたと見えることが多くあります。しかし、今の人はたやすいと思うことも成し遂げられません。もし行ったとしても失敗してしまいます。成し遂げることができた事案も、皆身を入れて事を行うか、逃げ足で行うかの差で決まりますことは、ご意見の通りです。しかし、識(見識)をもって断ずるとなりますと、識には生まれつきもっている能力と学問で得た能力の2つ以外にはありません。自分の生まれつき持っている天分を頼ることをしないで、学問を熱心に行うことこそ、見識を広げ、大事を行う基礎とすべきです。




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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/29 07:22
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