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水運問答(50) 奸智を以て善をなすのは

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答50

水雲問答(50) 奸智を以て善をなすのは

雲:
 奸智(かんち)の人悪事を為すに、譬(たと)えば五なさんとするに先(ま)ず、十と云う。君子これを争って五にするも、すでに彼が術中に落ちて然(し)も知らず、其(その)術巧(たくみ)なりと云うべし。今それを善道に翻(ひるがえ)して、好事(こうじ)を斯(か)くの如く行わば、其益最も多かるべし。

(訳)
 ずるがしこい知恵にたけた人が悪事をはたらく時、たとえば、五つのことをしようとするのに、まず十と言う。君子がこれと争って五つにしても、もうすでに悪賢い者の術中にはまってしまっており、術中にはまっている事すら知らずにいます。その術は実に巧妙であるといえます。今それを、善の道において、善い事をこのような術で行いますと、そこから得られる益は極めて多い事になるでしょう。

水:
 此説非なり。君子小人は氷炭薫蕕(ひょうたんくんゆう)、いかようになしても合いがたし。小人智術を設けて君子を待つ時、君子も其術を仮(か)りて彼に勝って善事を為さんとする時は、君子にして小人の術を用ゆるなり。事の善悪は、痙庭(けいてい)なけれども、心術既に正しきを失い候。さあれば、たとえ一旦(いったん)細大のことは為し得べけれども、恒久にすべき道に非ずと申すべし。

(訳)
 この説はいけません。君子と小人(しょうじん)は氷と炭、薫(くん:よい香りの草)と蕕(ゆう:悪臭を放つ草い)のようなもので、どうしても合いません。小人が悪知恵を使って君子に挑戦る場合に、君子ももし同じような小人の術を使って小人をやっつけて善い事をするとしましょう。事の善悪は痙庭(けいてい:へだたり)がありますが、その心術はすでに正しきことを失っています。たとえ一旦このような方法で事が成し遂げられたとしても、恒久にすべき道ではないと申し上げておきます。



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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/30 08:04
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