水雲問答(53) 事を為し得る者、勢いにあり
これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。
雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(53) 事を為し得る者、勢いにあり
雲:
大小のことなし得る者、勢にあり。然(しか)れども勢に任ずるときは害を招く。勢を用るは、勢を用ひずして勢を用ゆるにあり。禹(う)の水をやるも、其(それ)ことなきの処にやるのみ。正剛の二字を納(おさめ)得れば、勢ひ自(おのづか)ら彼の心にあり。然かして和楽の徳を以て行ば、蛮夷(ばんい)と云ふとも服すべし。況(いわん)や天下の人をや。
(訳)
大きいこと小さいことすべて成し遂げられる人には「勢(ぜい:いきおい)」があります。しかし、勢のあるものに地位を与えて任用して行わせると害が起ります。この勢を使うには勢を使うことなく、勢を用いる必要があります。中国古代で、黄河の治水に初めて成功し長期に亘る王国を建設した夏の禹(う)王は、水を流すにしても、大問題(大きな被害に)とならない所に水を流しております。正と剛の二文字を習得いたしましたら、勢いは自然と心に備わってきます。こうしてから和楽(和やかで円満な)の徳をもって事を行えば、周辺の蛮族、蛮夷などの敵であってもその徳に服するに違いありません。ましてや天下の人々だって服するに決まっています。
水:
此論ご体認語と承候。惜む所は措語(そご)病(へい)あり。高意は随分了し申候。
(訳)
この論は、貴方ご自身の言葉(語)であると承ります。しかしながら、惜しいところは、云われている言葉に齟齬(くいちがい)があり、欠点があります。ただし、謂わんとするご意見はよくわかりました。
(コメント)
確かにこのやり取りは少し内容が良く理解できません。言葉に病(へい)があるからでしょうか。
水雲問答を最初から読むには ⇒ こちら
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雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(53) 事を為し得る者、勢いにあり
雲:
大小のことなし得る者、勢にあり。然(しか)れども勢に任ずるときは害を招く。勢を用るは、勢を用ひずして勢を用ゆるにあり。禹(う)の水をやるも、其(それ)ことなきの処にやるのみ。正剛の二字を納(おさめ)得れば、勢ひ自(おのづか)ら彼の心にあり。然かして和楽の徳を以て行ば、蛮夷(ばんい)と云ふとも服すべし。況(いわん)や天下の人をや。
(訳)
大きいこと小さいことすべて成し遂げられる人には「勢(ぜい:いきおい)」があります。しかし、勢のあるものに地位を与えて任用して行わせると害が起ります。この勢を使うには勢を使うことなく、勢を用いる必要があります。中国古代で、黄河の治水に初めて成功し長期に亘る王国を建設した夏の禹(う)王は、水を流すにしても、大問題(大きな被害に)とならない所に水を流しております。正と剛の二文字を習得いたしましたら、勢いは自然と心に備わってきます。こうしてから和楽(和やかで円満な)の徳をもって事を行えば、周辺の蛮族、蛮夷などの敵であってもその徳に服するに違いありません。ましてや天下の人々だって服するに決まっています。
水:
此論ご体認語と承候。惜む所は措語(そご)病(へい)あり。高意は随分了し申候。
(訳)
この論は、貴方ご自身の言葉(語)であると承ります。しかしながら、惜しいところは、云われている言葉に齟齬(くいちがい)があり、欠点があります。ただし、謂わんとするご意見はよくわかりました。
(コメント)
確かにこのやり取りは少し内容が良く理解できません。言葉に病(へい)があるからでしょうか。
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