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水雲問答(62) 己一人の才を展すとき、蹉跌して事をなすこと能はず

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答62

水雲問答(62) 己一人の才を展すとき、蹉跌して事をなすこと能はず

雲:
 事は十分に参らず、苦みて居候中こそ却て面白き所と存申候。我十分は最早(もはや)後は陥阱(かんせい)に候。故に古人ことをなし候に、自分の上に1箇の人あるがゆゑに、己が才を展(のば)すこと能はず。半は出来、半は出来ずして、歎息すると雖ども、理を観るの明ならざるが故なり。其人去て己一人の才を展すとき、蹉跌(さてつ)して事をなすこと能はず、却(かへつ)て後悔するに至る。邵子(せうし)の落便宜は得便空、大におもしろく存候。

(訳)
 事を十分満足に為すことができず、苦しみながら部屋に籠もっている時こそ、かえって面白いものでございます。自分としては十分に出来て、後もう少しで完成という時に、落とし穴にはまることがあります。故に、昔の人が事を行おうとするときに、自分の上に一人の上役が居ると、自分の才能を十分発揮することが出来ず、半分できても残り半分が出来ないため、ため息をついてみてもこれ理を見るより明らかなことでしょう。しかし、その上の人間が去って、さて、自分ひとりになってこんどは十分に自分の才能を発揮できるようになると、今度は途中でつまづいて諦めることはできず、却って一人になったことを後悔します。
邵子(せうし:易を受けついで一派の哲理を考へ出した人)の「便宜に落ちるは、便空を得る」という言葉はとても面白いと存じます。

水:
 憂患に生じて安便に死する、則この意思に候。己(おの)が才を展尽することを得ず歎息するは、理を見るの明ならずと申ご論、殊の外面白きことにて、ご工夫の精細感心仕候。己の才を十分に展するに至て、蹉跌するのことを予(あらかじ)め仕おり候人は、多くは有るまじく、都(すべ)てこと敗て後に悔る計(ばかり)の者に候。此一条はご体認の実論にして、甚感銘仕候。

(訳)
 これは、孟子が「憂患に生じて安便に死する」(人は心配事がある時は心をいため、命を守る努力をするが、憂いがなくなると心がゆるみ、思わぬ死を招くこともあるということ)という言葉がありますが、すなわちこれと同じ心です。自分の才能を伸ばし尽くすことが出来ないことを嘆くのは理を見るより明らかであるという御意見はことのほか面白く、その言葉の工夫の細心さに関心致しました。自分の才能を十分に伸ばせるようになると、途中で挫折することをあらかじめ考える人は多くはいないでしょう。普通は、すべて行って失敗して後にそれを悔いるばかりのものしか居りません。この一条は貴方の実際の体験からの実論で、大変感銘いたしました。


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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/04/04 06:30
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