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水雲問答(63) 大事は独断ならねば出来ず

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答63

水雲問答(63) 大事は独断ならねば出来ず

雲:
 韓非の独断は、事に害あることども多く候へども、大事は独断ならねば出来申さず候。独断甚面白く候。謝公の雅量にて独断大得手と存候。安穏中より出申す独断ならざれば、人背き申候哉に存候。

(訳)
 韓非(かんぴ:韓非子・・・中国戦国時代の思想家で、君主に権力を集中し法の支配で乱れを統一するという法重視の考え方をした)は独断でことを行い、この事が害をなしたことも多くありますが、大事を行うには独断でなければ実行できません。この独断は大変面白くおもいます。これは昔を懐かしんでいる人(謝公)のおおらかな考え方で、独断は大得意と思います。もし、この独断が心が落ち着いた状態から出されたもの出なければ、人はこれに背くことでしょう。

水:
 独断は、人主と大臣の上にては欠くべからざるのことに候へども、諸侯の上にして申たる時、独断のこと、一生中に成しおほせたるときはよし。代替になり候て、前代の独断大に害を成し、其ことを必ず替へざれば叶はぬこと出来、或は強(しい)て行へば、立意違ふて黒白相変ずることにも至るゆゑ、始(はじめ)思付たること、何年にて成と算して取かかるべし。大臣も我身に為し負せず、人に渡すときは直に別事となるべし。因て永久に渉(わた)らざる一時の大事は独断して、数十年を渉るべきのことは衆議を用ふべし。

(訳)
 独断は、一番上に立つ人主と、また大臣などにとっては欠くことのできないことです。しかし、諸侯に対して独断で命令するときに、その内容が、その命を下した主の代に成し遂げられればよいが、もし代が替わってしまうと、その独断が大きな害となり、独断の内容を変えざるを得なくなります。もしこれを強いて実行しようとすると、最初の考えとは黒白違ってしまうことにもなるでしょう。初めに思いついた考えは、何年でできるかを計算して取り掛かるべきです。大臣も自分自身でで成し遂げることが出来ず、他の人に任せるときは別なこととすべきです。永久に続くものでない一時の事は独断で行い、数十年に渡る問題には皆で衆議して決めるべきでしょう。


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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/04/04 06:57
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