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水雲問答(66) だまされて、だまされぬ所

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答66

水雲問答(66)  だまされて、だまされぬ所

雲:
 治国平天下のことは申に及ばず、一家のこと迄も誠の一字なくては相成らず候。『列子』に申たる通り、海鷗(かいおう)も舞(まひ)て下らざる譬(たとへ)の通りに候。然し、誠意に過候と、又欺かるの弊も之有り候。何(いづ)れ大手段にかかり申者は、人にだまされねば成り申さず。だまさるるに又手段あり。今人だまされまいと存候て、何(い)しかだまされてだまされぬ所、味ものに候。

(訳)
 天下国家のことは言うまでもなく、一家のことにも「誠」の一字が無ければなりません。『列子』に書かれておりますが、何もこちらに意図が無ければ海辺で鷗(かもめ)はたくさん舞って下りてくるが、こちらが捕まえてやろうという気持ちがあると、まったく下におりてこないというたとえ話があります。しかし、あまりにも馬鹿正直すぎると、また騙されるという弊害もあります。どうしても大きな仕事をしなければならない場合は、人に騙されるということもなければやり遂げることはできないでしょう。しかし、この騙されることにも一工夫があります。今の人は騙されまいとして、いつかだまされていたり、まただまされていなかったりと言うことがありますが、これはなかなか味のある(興味深い)ものです。

水:
 心身より家国に及び、誠の一字欠くべからずは勿論に候。欺るるはことの品によりて、子産が圉人(ぎょじん)にだまされ候類は、だまされたるが宜(よろしく)候。兎角(とかく)今の貴人は、人にだまされまいと存候一念より疑慮深く成り、何ごとも出来申さず。だまされてだまされぬ所の味と申は、随分面白きことながら左候ては、矢張(やはり)だまされまいの念起り申。ずっと身をはめて、子産のだまされ候塩合(しおあひ)は、だまされるに極め候が宜(よろしく)候。

(訳)
 自分自身のことから国家のことにまで、誠の一字は欠いてはいけないことは勿論です。「孟子」の書に子産(しさん:春秋時代の小国・鄭(てい)に仕え、弱小国の鄭を安定させる善政を行った人物)が、圉人(ぎょじん:馬飼などの役人)にだまされた話があります。これなどはだまされたことがよろしいといったものです。
(子産は圉人に魚を池に放してくれとたのんだ。しかしその役人は魚を煮て食ってしまい、子産へは「魚は池で最初は元気に泳いでいましたが、そのうち下にもぐって見えなくなりました。」と報告しました。これを聞いた子産が喜んだので、その役人は子産は賢人といわれているが、だまされているのも知らないで」と笑ったという話)
ともかく、いまの貴人は人にだまされまいと一途に思慮深くなり、何事も出来ません。貴方の説の「だまされてだまされぬ」という言葉の味は大変面白いと思いますが、やはりだまされまいとする思いは起ります。そのため、そのような問題の中に飛び込んで、子産のようなだまされ加減、だまされることの極みを考えるのもよろしいと思います。



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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/04/05 03:37
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