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水雲問答(67) 小事を看過し、一旦に善事をなし出す

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答67

水雲問答(67) 小事を看過し、一旦に善事をなし出す

雲:
 李愬(りそ)が平蔡(へいさい)の策を見候に、彼が怠惰(たいだ)をまち申候ゆゑ、為(す)ること一つとして怯(けふ)ならざるはなし然して一旦に取挫(とりひしぎ)申候は愉快に候。軍事計(ばかり)になく、今日の上にても大段落を見すへ候はば、小事を看過いたし、一旦に善事をなし出すべきことに候。拙速巧遅、兵道ばかりに之無くと存候。智者も慮に及ばず候所に出来申候こと夥(おびただ)しく候。

(訳)
 唐の名将である李愬(りそ:773-821)が平蔡の策略を見ておりますと、彼は怠けることを待っているために、やることはすべてについて恐ろしいと思わないものはないが、いったんそれを押しつぶしていることは愉快であります。これは軍事ばかりではなく、今日においても大段落を見据えて申せば、小事には目をつむり、善事を行うことといえましょう。巧遅拙速(こうちせっそく:いくら上手でも遅いよりは、たとえ下手でも速いほうがよい)というのは、戦の時ばかりではないものと思います。智者といえども深く考えが及ばずことが出てくることはこれまたおびただしい数になるでしょう。

(コメント)
 この李愬などの人物についてはあまりわが国では紹介されているものが少なく、理解がしにくいところがあります。そのためこの訳も中途半端になってしまいました。とりあえずの参考程度としてください。

水:
 此通(とほり)に候。「疾雷耳を掩(おほ)ふに及ばず」と申所、事に臨み候ては第一作用に候。豪傑の挙措(きょそ)、斯くの如きのみならず、小人の胆ある者も亦此の如くに候。自(おのず)から大事に当り候と、小人を待ち候との二つとも、この手段とこの用心となくて叶わず候。何事をも仕おほせ候者は、皆帰宿の所は一にして、其事の善悪に君子小人の別ある斗(ばかり)に候。

(訳)
 この通りです。「疾雷耳を掩(おほ)ふに及ばず」という言葉があります。急に雷が鳴って耳をおおういとまがないことから、事態が急激で、対処するいとまがないことを意味しますが、事を行う場合には、その第一番目に起こることです。豪傑の立ち居振る舞いがこのようなことというだけではなく、小人の心の者でもまた同じです。自分からすすんで大事に当たることと、小人が事を行うのを待つということの二つとも、この手段と心がけがなくては事は叶いません。何事でもやりきることができる者は、皆、究極のところは同じで、その事の善悪に君子と小人の別があるだけです。


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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/04/05 11:08
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