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水雲問答(69) 真知とは

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答69

水雲問答(69) 真知とは

雲:
 何事も懲艾(ちょうがい)して後に知るを真知と申すべし、唯知(しり)申候は又迷(まよひ)候こと之有り候。懲艾して知るときは、所謂(いはゆる)涅(くろ)ませども緇(くろ)まぬにて、丈夫に候。我身に経歴して覚へたることは、仕損ぜぬ者に候。人真似にては仕損候者に候。夫ゆゑ、我が身にて出来候こと計(ばか)り致し申すべく候。出来ぬことは笑われにも為(せ)ぬがよく候。虚名を愛して実禍を受(うく)るはせずと、孟徳が申たるは姦雄だけ名言と存候。 

(訳)
 何事もお灸をすえて(艾は灸に使うもぐさのこと)その後から知ったことが真知と言えるでしょう。ただ、知るということは、また迷うことでもあります。お灸をすえられて知るときは、論語には、いわゆる「涅而不緇:でっじふい・・・涅(デッ、くろ)すれども緇(くろ)まず」という言葉があります。意味は涅は水の底にたまった黒い泥土で、「本当に心が潔白で、意志が堅固な人は、どのような環境に置かれようとも、その影響を受けて汚れてしまうことはない。」ということです。自分自身が経験して覚えたことですが、これは失敗しない(仕損ぜぬ)人です。人まねをする人間は仕損ずる人です。それゆえ、自分ができる範囲のことばかりをやろうとします。出来ないことはやりませんので、笑われることもありません。真の名声ではなく、虚名を愛して、実際の禍を受けることを避けると孟徳(もうとく:三国志の英雄「曹操」のこと)が言っていますが、これは彼が姦雄(ずるがしこく知恵にたけた英雄)だけに、名言といえましょう。


水:
 真知何(い)かにも斯くの如く候。体認の論に候。程子の虎に遇(あひ)たる者の論、則是にて候。世を渉る上にては、此の工夫、尤(もっとも)専要に候。孟徳の語、処世の名言にして、其の実は我利害のみを説(とき)候あいだ、教は致しがたく候。総じて教と云ふ語と、一時の用に立候とは、両般の者に候。其の取り方にて徳義薄くなり候。弊を生じ申候。 

(訳)
 真知とはまさにこのようなことでしょう。これは、ご自身で会得した論と思います。程子(宋代の兄弟の儒学者、程顥(ていこう)・程頤(ていい)のこと)が実際に虎に遭遇してはじめてその恐怖を知る(真知)と言っていることの論とまさに同じです。世を渉っていく上で、この工夫は非常に重要です。孟徳(曹操)の言葉は、処世の名言ですが、実のところ自分の利害だけを説いておりますので、不変の教えとは申せません。この教えという言葉と、一時の用に役立つということとは、まったく違った言葉です。この違いを間違えますと徳義が薄くなり弊害が生ずることになります。


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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/04/06 09:45
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