水雲問答(72)了 英豪と聖賢
これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。
雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(72) 英豪と聖賢
雲:
英豪の所為は一時に行はれて、万世に垂るべからず。聖賢は百世を待て疑はず。聖賢もと英豪なり。英豪、聖賢ならざる有りと朱子の論感服すべし。聖賢は迚(とて)も及ばぬことに候。英豪の所為こそ願(ねがは)まほしきことに候。跡を践(ふ)まず室に入らずと申す所、又為べからずと存候。
(訳)
英雄や豪傑の行うことは一時にて行われるもので、万世に模範とはなりません。しかし聖賢は百世代にわたって(永遠に)変らぬ考え方を持っています。ところが、この聖賢といわれる人達も元は英豪の人であります。英豪でも必ずしも聖賢にならないと朱子が申しておりますことは感服いたします。聖賢にはとても及びませんが、英豪には近づけそうで、そう願いたいものと思います。ただ「跡を践(ふ)まず室に入らず」という孟子の言葉があり、これにあるようにもう一つ大切なところには達せないということになります。
(コメント)
跡を践(ふ)まず室に入らず: 「形色は天性なり。惟(た)だ聖人にして然(しか)る後以て形を踏むべし」・・・「堂に升(のぼ)れり。未だ室に入らざるなり」(孟子)
生まれつきの才能(形色)は天性であり、それを十分生かす(形を踏む)、其の自分に与えられた運命を十分に知って活かすように努力をするということ。ただこれだけでは、「室に入らず」で、もう一つの大切な所には達することが出来ないということです。
水:
両々相比して語、的当(てきとう)に候。英豪を冀(こいねが)ふは非なるべし。其資質なくして英豪たらんと欲せば、百事皆敗(やぶ)るべし。故に聖賢の教、平々地より説(とき)起す。この意、後世の教とすべし。英豪を以て教とせば、彼人の子を賊(がい)すること多々なる当(べ)し。
(訳)
英豪と聖賢の両方を比較して、的を射た適切な言葉であると感服します。しかし、英豪に近づけるとこいねがうことはいけません。資質がないのに英豪のように振舞いますと、百事(全ての事)に失敗することでしょう。ゆえに、聖賢の教えは実に平易に説かれています。この意は後世の教えとなるものです。しかし英豪を以て教えとすると、其の子孫を賊(がい)することがたくさん出てくるでしょう。
この書完篇の者ならず。原本ここに止る。
<これにて水雲問答は終了です。>
(おわりに)
この甲子夜話に収録されている水雲問答は一部、添削された文なども載せられておりますが、ほぼ全部を順番に載せました。
また、この訳文は拙いものではありますが、こちらで訳したものです。一部解釈が違うところもあろうかと思いますが、訳者の不徳とするところですので、気がついたことなどがございましたら何なりと、ご連絡いただければありがたく存じます。
訳すに当り、下記の書物を参考させていただきました。
偉大なる対話(水雲問答) 安岡正篤氏著 福村出版 1989年第3版
ここに篤く御礼申上げます。
また、原文についてはできるだけ、東洋文庫より出版された書籍に忠実にしておりますが、一部読みにくい箇所や、読み下しのさいわかり易いように変更している箇所もございます。漢字のふりがなも古語表記のままとしていますので、現代読みには少しズレがございます。ご了承ください。
水雲問答を最初から読むには ⇒ こちら
(10件ずつまとまっています。 次の10件を読むときは最後の「Next」をクリック)
雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(72) 英豪と聖賢
雲:
英豪の所為は一時に行はれて、万世に垂るべからず。聖賢は百世を待て疑はず。聖賢もと英豪なり。英豪、聖賢ならざる有りと朱子の論感服すべし。聖賢は迚(とて)も及ばぬことに候。英豪の所為こそ願(ねがは)まほしきことに候。跡を践(ふ)まず室に入らずと申す所、又為べからずと存候。
(訳)
英雄や豪傑の行うことは一時にて行われるもので、万世に模範とはなりません。しかし聖賢は百世代にわたって(永遠に)変らぬ考え方を持っています。ところが、この聖賢といわれる人達も元は英豪の人であります。英豪でも必ずしも聖賢にならないと朱子が申しておりますことは感服いたします。聖賢にはとても及びませんが、英豪には近づけそうで、そう願いたいものと思います。ただ「跡を践(ふ)まず室に入らず」という孟子の言葉があり、これにあるようにもう一つ大切なところには達せないということになります。
(コメント)
跡を践(ふ)まず室に入らず: 「形色は天性なり。惟(た)だ聖人にして然(しか)る後以て形を踏むべし」・・・「堂に升(のぼ)れり。未だ室に入らざるなり」(孟子)
生まれつきの才能(形色)は天性であり、それを十分生かす(形を踏む)、其の自分に与えられた運命を十分に知って活かすように努力をするということ。ただこれだけでは、「室に入らず」で、もう一つの大切な所には達することが出来ないということです。
水:
両々相比して語、的当(てきとう)に候。英豪を冀(こいねが)ふは非なるべし。其資質なくして英豪たらんと欲せば、百事皆敗(やぶ)るべし。故に聖賢の教、平々地より説(とき)起す。この意、後世の教とすべし。英豪を以て教とせば、彼人の子を賊(がい)すること多々なる当(べ)し。
(訳)
英豪と聖賢の両方を比較して、的を射た適切な言葉であると感服します。しかし、英豪に近づけるとこいねがうことはいけません。資質がないのに英豪のように振舞いますと、百事(全ての事)に失敗することでしょう。ゆえに、聖賢の教えは実に平易に説かれています。この意は後世の教えとなるものです。しかし英豪を以て教えとすると、其の子孫を賊(がい)することがたくさん出てくるでしょう。
この書完篇の者ならず。原本ここに止る。
<これにて水雲問答は終了です。>
(おわりに)
この甲子夜話に収録されている水雲問答は一部、添削された文なども載せられておりますが、ほぼ全部を順番に載せました。
また、この訳文は拙いものではありますが、こちらで訳したものです。一部解釈が違うところもあろうかと思いますが、訳者の不徳とするところですので、気がついたことなどがございましたら何なりと、ご連絡いただければありがたく存じます。
訳すに当り、下記の書物を参考させていただきました。
偉大なる対話(水雲問答) 安岡正篤氏著 福村出版 1989年第3版
ここに篤く御礼申上げます。
また、原文についてはできるだけ、東洋文庫より出版された書籍に忠実にしておりますが、一部読みにくい箇所や、読み下しのさいわかり易いように変更している箇所もございます。漢字のふりがなも古語表記のままとしていますので、現代読みには少しズレがございます。ご了承ください。
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