絵画の思い出(2)
さて、今日は昨日の続きで西洋絵画などを見るようになったきっかけの話です。
小学2年から大学に入る頃迄、私は東京の多摩地区に住んでいました。
中学1年生の冬に、東京上野の国立博物館でルーヴル美術館の絵画を中心としたフランスの絵画の展覧会が行われました。
始めてルーヴル所蔵の有名な絵画がたくさん日本で見られるとあって、かなりのニュースにもなりました。
ただ、まだ特に美術が好きであったわけでもなく、東京といってもまだ田舎の方に住んでいましたので、こういうものに触れる機会もほとんど無かったせいも有り、話題にはなっていましたが特に興味も無かったのです。
ところが、これを家族で見に行こうと父が言い出したのです。
父は東京銀座に勤めに通っていましたので、子供(兄と私)を田舎者にしたくなかったのかもしれません。
確か年の暮れか、正月かは忘れましたが、日曜日?の祝日に家族で出かけたのです。
上野といえば、その頃は、西郷さんの銅像と、動物園くらいしか余り頭に浮かばないくらいの人間でした。
電車に乗って、上野の公園口から降りて、西洋美術館のそばを通って、動物園入り口前の広い広場に出て驚いたのです。
なんと、そこには博物館の方へ続く長い人の列が、その広場をうめつくすくらいに並んでおり、西郷さんの銅像近くの方まで続いていたのです。
でも諦める事もできませんので、その最後尾に並び、少しずつ前へ。1時間くらいたってようやく博物館の入口が見えたと思ったら、並んでいる列は入口には入れず、博物館の周囲を1周していたのです。
それから広い博物館の敷地の周りを1周して、ようやく中に入ると、今度は博物館の敷地の中も列が続いていました。
疲れ果てそうになりましたが、何とか中には入れたのですが、絵画の前は黒山の人だかりのようになっていて、順番に押すな押すなといわれながら、あまり止まって鑑賞出来ずに、絵を順番に見て回るような状態でした。
ルーヴル美術館の絵はかなりの数が出展されていて、有名な人の絵画もたくさんありました。
見終わって、最後に額に飾る絵を買って帰ることになり、私が買ったのは、コローの風景画でした。

「モルトフォンテーヌの思い出」と題するコローの大きな風景画です。
構図も色合いも、とても気に入ったのです。
しかし、母などはマリーローランサンの絵が好きだといってそちらも買って来ました。
今ではこちらの絵もよさがわかって来ましたのですが、ヨ-ロッパ絵画を見て最初に気に入ったのはこのような写実主義の絵だったのです。
当時西洋美術は上野の西洋美術館(松方コレクション)が中心でしたが、これだけの大規模な展覧会でしたので、会場を国立博物館にしたようです。
<調べたら>
ルーヴルを中心とするフランス美術展
1961(昭和36)年11月3日- 1962(昭和37)年1月15日
会場:東京国立博物館
主催:東京国立博物館、国立西洋美術館、朝日新聞社
出品点数:絵画260点、彫刻60点、素描119点、版画39点、計478点
入場者数:722,082人
とありました。
そして、その後、各画家ごとの絵画集(あまり高くは無い)などを家に取り揃えるようになり、印象派や抽象的な絵なども、少しですが有名な画家のものはわかるようになりました。
その後しばらくして西洋美術館でミロのヴィーナスがやってきたのでした。
まだ、ヨーロッパに旅行にいくなんて、望めそうも無い時代だったんですね。
こんな西洋文化にやはり人は飢えていた時代だったのかもしれません。
今では連れて行ってくれた父に感謝しています。
小学2年から大学に入る頃迄、私は東京の多摩地区に住んでいました。
中学1年生の冬に、東京上野の国立博物館でルーヴル美術館の絵画を中心としたフランスの絵画の展覧会が行われました。
始めてルーヴル所蔵の有名な絵画がたくさん日本で見られるとあって、かなりのニュースにもなりました。
ただ、まだ特に美術が好きであったわけでもなく、東京といってもまだ田舎の方に住んでいましたので、こういうものに触れる機会もほとんど無かったせいも有り、話題にはなっていましたが特に興味も無かったのです。
ところが、これを家族で見に行こうと父が言い出したのです。
父は東京銀座に勤めに通っていましたので、子供(兄と私)を田舎者にしたくなかったのかもしれません。
確か年の暮れか、正月かは忘れましたが、日曜日?の祝日に家族で出かけたのです。
上野といえば、その頃は、西郷さんの銅像と、動物園くらいしか余り頭に浮かばないくらいの人間でした。
電車に乗って、上野の公園口から降りて、西洋美術館のそばを通って、動物園入り口前の広い広場に出て驚いたのです。
なんと、そこには博物館の方へ続く長い人の列が、その広場をうめつくすくらいに並んでおり、西郷さんの銅像近くの方まで続いていたのです。
でも諦める事もできませんので、その最後尾に並び、少しずつ前へ。1時間くらいたってようやく博物館の入口が見えたと思ったら、並んでいる列は入口には入れず、博物館の周囲を1周していたのです。
それから広い博物館の敷地の周りを1周して、ようやく中に入ると、今度は博物館の敷地の中も列が続いていました。
疲れ果てそうになりましたが、何とか中には入れたのですが、絵画の前は黒山の人だかりのようになっていて、順番に押すな押すなといわれながら、あまり止まって鑑賞出来ずに、絵を順番に見て回るような状態でした。
ルーヴル美術館の絵はかなりの数が出展されていて、有名な人の絵画もたくさんありました。
見終わって、最後に額に飾る絵を買って帰ることになり、私が買ったのは、コローの風景画でした。

「モルトフォンテーヌの思い出」と題するコローの大きな風景画です。
構図も色合いも、とても気に入ったのです。
しかし、母などはマリーローランサンの絵が好きだといってそちらも買って来ました。
今ではこちらの絵もよさがわかって来ましたのですが、ヨ-ロッパ絵画を見て最初に気に入ったのはこのような写実主義の絵だったのです。
当時西洋美術は上野の西洋美術館(松方コレクション)が中心でしたが、これだけの大規模な展覧会でしたので、会場を国立博物館にしたようです。
<調べたら>
ルーヴルを中心とするフランス美術展
1961(昭和36)年11月3日- 1962(昭和37)年1月15日
会場:東京国立博物館
主催:東京国立博物館、国立西洋美術館、朝日新聞社
出品点数:絵画260点、彫刻60点、素描119点、版画39点、計478点
入場者数:722,082人
とありました。
そして、その後、各画家ごとの絵画集(あまり高くは無い)などを家に取り揃えるようになり、印象派や抽象的な絵なども、少しですが有名な画家のものはわかるようになりました。
その後しばらくして西洋美術館でミロのヴィーナスがやってきたのでした。
まだ、ヨーロッパに旅行にいくなんて、望めそうも無い時代だったんですね。
こんな西洋文化にやはり人は飢えていた時代だったのかもしれません。
今では連れて行ってくれた父に感謝しています。
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