万歳藤(城里町上圷)
石岡から北へまっすぐ、城里町の石塚まで行くと、県道は急坂を下りて旧桂村の上圷(あくつ)になる。
個々の通り沿いに「万歳藤」と城里町の文化財となっている藤の木がある。
昨日車で通りかかったがちょうど信号で停車したときに藤の花が目に入った。

昔看板に書かれたものも昔から目にしていたが、立ち寄った時は、藤がちょうどよく咲いている季節ではなかったし、民家の庭先で、またあまり大きな木でもなくがっかりしたのだが、今回はちょうどよく花が咲いていた。
町の文化財の説明書きでは、
「上圷村の庄屋を務めた大森家の藤で、元禄11(1697)年、徳川光圀がこの藤の見事さを激賞して「萬歳」の名を与え、大森家の家号を「藤本」とするように命じたと言う由緒がある。
それから約130年後、徳川斉昭もこの地を訪れ、藤の幹はすでに枯れていたが根本に生える若芽を見て「咲く藤の花なき頃に来てみればめぐみのもとにあるぞ楽しき」の和歌を詠んでいる。
藤は往時より小規模となったものの、大森家には現在も藤棚、斉昭の和歌などが残されている。」
となっていた。
何回も通った道に面した場所なので、気にかけていたが、なんとなく枯れてしまったのかもしれないなどと心配していた。
まあ、それほど立派とまでは言えないが、こうして花を見ることができてよかった。
今年は大河ドラマで徳川斉昭が出てきている。
斉昭の和歌が残されているのだからこれからも大切にしていってほしいものだ。
個々の通り沿いに「万歳藤」と城里町の文化財となっている藤の木がある。
昨日車で通りかかったがちょうど信号で停車したときに藤の花が目に入った。

昔看板に書かれたものも昔から目にしていたが、立ち寄った時は、藤がちょうどよく咲いている季節ではなかったし、民家の庭先で、またあまり大きな木でもなくがっかりしたのだが、今回はちょうどよく花が咲いていた。
町の文化財の説明書きでは、
「上圷村の庄屋を務めた大森家の藤で、元禄11(1697)年、徳川光圀がこの藤の見事さを激賞して「萬歳」の名を与え、大森家の家号を「藤本」とするように命じたと言う由緒がある。
それから約130年後、徳川斉昭もこの地を訪れ、藤の幹はすでに枯れていたが根本に生える若芽を見て「咲く藤の花なき頃に来てみればめぐみのもとにあるぞ楽しき」の和歌を詠んでいる。
藤は往時より小規模となったものの、大森家には現在も藤棚、斉昭の和歌などが残されている。」
となっていた。
何回も通った道に面した場所なので、気にかけていたが、なんとなく枯れてしまったのかもしれないなどと心配していた。
まあ、それほど立派とまでは言えないが、こうして花を見ることができてよかった。
今年は大河ドラマで徳川斉昭が出てきている。
斉昭の和歌が残されているのだからこれからも大切にしていってほしいものだ。
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