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古代官道跡は今

 古代律令制度が始まった頃(奈良時代始め前後)から奈良を中心とした五畿内から全国国府を結ぶ七街道が作られたといわれています。
江戸時代の街道と区別するためにこの時代の東海道は古東海道などと呼ばれます。

私も、この古東海道の終点が常陸国であり、国府であった現石岡に東海道終点の駅家(うまや)があったはずだと知って、いろいろ捜していたことがありました。

この街道(官道)は地方の国から中央政権に物資や資料を馬で運ぶ役割をしていました。
また古代官道は、道幅はかなり広く、両脇に側溝を持つ道路で、ほぼ直線で、途中の駅家(うまや)には乗り換えのための馬を常駐させていたのです。

細かな話はさておき、十年以上前に、現在の常磐高速にそった場所からこの古代官道の跡が見つかりました。
場所は小美玉市五万掘と呼ばれる附近で、これを五万掘古道と呼ばれたのですが、その後、さらにその水戸市台渡里(河内駅家)へ続く延長線上の涸沼川を渡った附近で同じような官道跡が見つかりました。

そして、8年ほど前にこの古官道の遺構を見て来ました。
その時の写真が以下です。

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このように畑や野原の中に真っ直ぐに調査して堀り出された跡を見ることが出来ました。
これは古東海道ではなく、東海道と東山道を結ぶ街道だと思われました。
地図で確かめると、石岡の鹿の子遺跡場所から台渡廃寺・河内駅家へ続く道です。
蝦夷征伐に鹿の子遺跡では大量の武器を制作していたことがわかっています。
そのため、恐らくこの道を使って武器を供給していたのではないかと思われるのです。たぶん八幡太郎の後三年の役頃も使われたのかもしれません。
八幡太郎の伝説がとても多く残されてもいます。

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このように畑や野原の中に真っ直ぐに調査して堀り出された跡を見ることが出来ました。
ただ発掘したときは道の両サイドに側溝もあり、鎌倉時代頃の少し幅の狭い道路跡もあったといいます。

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最近この近くを通ったのですが、大きな工場ができ、近くを通る常磐高速の友部スマートインターとを結ぶ広い道も建設されています。
上の写真の先に見えるのは、昔は無かった工場です。

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この辺りが昔の官道跡だと思いますので、工場はその上に建設されているようです。

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こちらは友部スマートインターへつながる道路です。
きれいな広い道がほぼ出来上がっています。
古代官道は写真手前を横切っていたと思われます。

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新しくできた工場側にも行ってみました。
やはり新しい道路もできています。
古代の道はこの道路とは直角に横切る位置関係です。

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こうして昔を推察できる遺構が無くなっていくのはさみしいですが、今までも全国で同じようなことが起こっているのでしょうね。


<前に書いた参考記事>
・五万掘古道(1) ⇒ こちら
・五万掘古道(2)-鹿の子・河内ルート⇒ こちら
・古東海道官道遺跡(中津川)⇒ こちら



古東海道 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/05/03 07:03
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