FC2ブログ

日米和親条約裏話(備忘録)

日米和親条約裏話

江戸時代末期に日本に訪れた黒船。江戸幕府は1639年に鎖国を開始してからは長﨑出島のみを開港しておりました。
ここでの貿易相手はポルトガル、オランダ、中国などであり、蘭学(オランダ語)が中心でした。
政府が正式にこの外国人との間で話す場合には、今でいう通訳がおりました。
公式の通訳は職業として政府により任命された者だけが許されるのですが、この職の人を通詞(つうじ)と呼びますが、この通詞は身分としても結構高く、それも親から子へ代々引き継がれたりしていたようです。
しかし、シーボルトが伊能忠敬の地図など持ち出そうとした事件などでも数名の通詞が連座となり処罰を受け、また薩摩藩の密貿易(沖合いで荷物を直接取引)などで、磔刑となった通詞もいました。

Perry-Visit-Kanagawa-1854.jpg
(ペリーの神奈川上陸)

さて、この鎖国が実質的な終わりを告げるのは、嘉永7年(1854年)ペリーと交わした「神奈川条約(日米和親条約)」が締結されたこととなりますが、この交渉時にどのような様子であったのかは、日本側にはあまり残された文書が無く、交渉にあたったペリー艦隊が帰国後、ペリーの日記を編纂して『ペリー艦隊 日本遠征記』を書いて残しています。
この中で条約締結直後に、黒船(ポーハタン号)の甲板では盛大なパーティが催され、当時の様子を次のように書いています。

『日が暮れると、日本人は飲めるだけの酒をしたたか飲んで、退艦の用意にかかった。陽気な松崎(満太郎)は両手をペリー提督の首にまわし、よろよろしながら抱きしめ提督の新しい肩章を押しつぶしながら、涙ながらに日本語で「Nippon and America, all the same heart」(日米、同心、日本とアメリカ心は一つ)という意味の言葉を繰り返した』とあり、また、ペリーの日記には松崎に抱きつかれたペリーは条約に署名してくれたら「キスをしても良い」とまで言ったとある。

日本側の主席通詞は堀達之助だったようで、当時英語、ロシア語なども勉強させられていたようだが、黒船に向かって “I can speak Dutch”とだけ英語で叫び、日本側の得意とするオランダ語を土俵とする交渉に引き込んだ といわれているそうです。

通詞(つうじ)の話は歴史の文献には余りかかれることがありません。
そのため、実態がよくわかりませんでしたが、甲子夜話の一文を読んで、少し当時の様子が垣間見れ、調べた内容をここに残しておきます。


雑感 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/06/06 11:58
コメント

管理者のみに表示